2016年9月25日日曜日

一人ではなかったからなのです。(ヒカリちゃん②)

譲渡会でのヒカリちゃん、
いつもはお転婆なのに・・ビクビク(^_^;
お話しは続いております。
ヒカリちゃんの保護をした日は6月の3日(たぶん)です。
ヒカリは命はなんとか繋がったものの危うい日々を過ごしていました。
仕事終わりで猫の先生のところに走り、輸液に注射にととにかく必死でした。

今思い出すだけでもクラクラくるのですが、
ピアノとなるとを保護できたのが6月の5日です(たぶん)。
もともとこの子達は私が必ず保護する!と決めてた予定の子達でした。

諦めませんでした。諦めなくて良かった、倒れなくて良かった私、と自分で自分を褒めるという・・・

保護られホヤホヤなるとちゃん、
健康で何より!保護主孝行な2匹でした^^

予定外だったのが、5月の下旬のみずほ母さんと5ニャンコ達、そして
ヒカリちゃんだったのです。

みずほ母さんと5ニャンコ
スクスク育ってました^^

苦しいながらも楽しい我が家、
ヒカリちゃんは瀕死の状況ではありましたが、
スクスク育つ仔猫たちは癒やしでもありました。
あの頃の自分の毎日を思い出すと、何をどうやってやっていたのか?
今もハッキリ思い出せないと言う・・・(苦笑)

とは言え、これは私の持論で絶対ではないのですが
(中には「否!」と思われる方もいますのでね、人それぞれと言うことで、ね)
保護したからには精一杯やるのですが、人の色々な大切な予定や行事は予定通り、
やはり人間が1番でなくてはなりません。
予定してた事は中止にせず、やってきました。
それは保護猫ちゃんのみならず、うちの子達とて一緒です。(大切な花火の最期の方も私達は予定通り猫の先生に託し旅行に行きました。ギリギリ看取る事が出来ましたが・・・。後悔してません。)

6月、それは我が子の誕生日があります。
こんなにワンサカと猫ちゃんを保護する予定ではありませんでしたので、
子供が行きたい!USJにホテルを予約してありました。
そして大阪には会いたい友人とコトラちゃんもいます。
たかが大阪と名古屋、されど大阪と名古屋、そうそう行き来は出来ません。

私達は予定を変えず、覚悟をもって出発します。
行く寸前に猫の先生に輸液と注射をしてもらい
ペットシッターをしている友人に全ての猫を託し、
もしヒカリに何かあったら猫の先生のところへ走って欲しい、間に合わなければ温かくして寝かしておいてくれればいい、とお願いして。

ある程度覚悟をしていました。ヒカリに何かあってもそれが寿命でそれが運命だと。
それくらい厳しい状況で、それでも私達は人間の子の誕生日にUSJに連れて行ってあげることを選びました。

お留守番のヒカリちゃん
よく頑張ったね!

「大丈夫だろうか?」と道中何度も夫と話しました。
でもここは振り切って、息子の為に楽しんで帰ってこよう。会いたかった友人とたくさん話をしよう、と確認し合いました。

シッターの友人からのラインを怖々開いていました。

ところが(と言うのも変ですが)届くラインは、とても明るい内容で
「大丈夫だよ〜!」と全ての猫ちゃん達の写真付き。
どう見てもヒカリだけは大丈夫な様子には見えませんでしたが、彼女に任せたのだから、彼女が大丈夫と言っているであれば、と大阪を楽しむことに専念しました。

友人は大変だったと思います。我が家の子だけでもけっこうな注文なのに、
仔猫に仔猫にこれまた仔猫・・・。
5ニャンコは離乳食がはじまり、ピアノ&なるとは目薬が必要で、
そしてヒカリは、死んでしまってもおかしくないような状況で・・・。
ご飯は自力では食べず、ad缶を人の手で口の中にねじ込むような食事風景。
私が普段やっているとは言え、プロのシッターさんとは言え、間違いなく大変だったと思います。

でも3食とも「み〜んな大丈夫だよ〜」しか大阪にいる私にはラインは来ませんでした。

ヒカリだけは大丈夫な訳はなかったのに。本当だろうか?と頭によぎりつつ
それでも子供の笑顔の為に違う意味でUSJで頑張る私達でした(苦笑)。

私達は大阪から戻ってすぐに現実に戻り、猫たちと対面。
私はドドドドド〜と2Fに駆け上がり、ヒカリと対面します。

ヒカリはケージの中で観音座りをして、こちらを見上げていました。
まだまだ危ういヒカリですが、ご飯も食べていたとの事でした。
「うそみたい」
座っているヒカリを見てウルウルしてしまいました。
うちの坊主の誕生日がヒカリの命日だなんて耐えられない、と怖かったのです。

ヒカリ、よく頑張ったね。

そして私は首をかしげます。
あんな瀕死な状況だったのにヒカリは確実に良くなっている。
丁度良くなっていく時だったのだろうか?とか考えました。
私は友人に「ヒカリどうだった?こんな元気になってきているなんて、どうして?」とききます。
そこで又、愕然として涙をポロポロこぼすことになります。

シッターである友人は、ヒカリを見た瞬間に「これはやばい」と思ったのだけど、とにかく温めてあげようと長い時間ヒカリを膝の上に乗せて人の体温で手のひらを使って
ずっと温めてくれていた、と言うのです。
そうすると自力で食べ始めた、と。
どれくらいの長い時間、一緒にいてくれたのだろう。
彼女はニッコリ「USJ楽しかった?天気が良くて良かったね〜」と言います。
そして「Rさん、毎日こんなに大変なんだね・・」とも。
グッときてしまいました。これが泣かずにいられましょうか?

しんどかったです。ずっと。
猫ちゃんの事もそして人間の子供の事も、全てが中途半端なような気がして
いつもいつも何かに追われて息つく暇もないような日々の中、私は子供のためと言いつつ一緒にちゃんと自分も息抜きが出来ています。
だから潰れずやってこれたとも言えます。

それは、
私は一人ではなくって、誰かがそんな時間を私をくれている、ということを
実感しました^^
ヒカリが気づかせてくれたことは山盛りあります^^

そして、その時を境にヒカリはどんどん自力で食べられるようになります。
地道な目薬でくっついていた目も不完全ながら開いて来ます。(この辺はやっぱり猫の先生はすごい!です。ヒカリのパッチリお目々を見る度に奇跡を見せつけられているような気持ちになります。)
輸液がなくても注射がなくても大丈夫になり、猫の先生のにもワクチン以外では走らなくなります。

そしてヒカリは、普通にお転婆な可愛い仔猫となります。

普通にお転婆な仔猫になったヒカリ
ちょっと涙目だけど。
そして、
普通よりちょっとお転婆だと言うことがわかってきます。
どんどん元気になり、ケージの外で過ごす時間が増えてきます。
譲渡会にだって参加しちゃいます。ちょっとビクビクします(笑)。

早々に里親さまが決まったピアノとなると、
いろいろありつつ、ちょうど可愛らしい盛りで里親さまの元に行くことが出来たみずほ母さんの子5ニャンコ、
遅れを取りましたが、ヒカリちゃんもここから幸せの赤い糸をたぐり寄せてくれるはずです。
平坦ではなかったここまでの道のりです。

幸せになって欲しい気持ちをいっぱい詰め込んで、今日も元気にすごすヒカリであります。

ヒカリちゃん、絶賛里親さま募集中
ペットのおうち
いつでも里親募集中

9月中旬に避妊手術をしまして、「お利口だったね」と先生に褒められました^^
抱っこする先生の手をケリケリしてましたが(苦笑)
是非ともヒカリに会いに来てやって下さい。
よろしくお願い致しますσ(^^)

ヒカリが本気で遊ぶとき、寝ている私や子供、他の猫ちゃんの背中なんぞは飛び石みたいなもので(あっタケシ城って知ってます?笑)、夫に至っては静止画でヒカリのことを捉えられない程です(呑んでるから、と老眼だからですわ、笑)。

あの半死の状況の頃を
あの苦しかった瀕死の状況を看てきた私は、
ヒカリに顔の上で踏み切られ、キズを負っても、それでも幸せを噛みしめるドMな夜を過ごしております。
ヒカリの未来に幸あれ!です。


ふく君(我が家ではコカゲ君)ペロッと舌だし^^
そして里親さまから嬉しい写真を頂く幸せ者の私であります。
「今日で3年になりました」と私がお届けしたその日にこうして写真を送って下さるというにくい演出をして下さるというMさん。
いつもありがとうございます!あの日のことはずっと忘れず覚えていますよ〜

里親さま、全てに感謝感謝です^^











正しいのは誰?間違っているのは誰?(ヒカリちゃん①)

ヒカリちゃん♀生後5ヶ月くらい
ペットのおうち
いつでも里親募集中
宜しくお願いします〜
「これで良かったんだろうか?」「何が正解だったのだろうか?」と
いうのは、よく思うことでして、

猫ちゃんを保護する全部の人達が、問題を抱えた子や命に関わる子はともかくとして、
呑気にとりあえずポンポンと猫を保護しているわけではありません。
皆、自分の許容量や自宅での我が家猫のこと、もちろん経済的なこと、いろ〜んな事を鑑みて、出来たら出会いたくなかったけど、出会ったんだから保護しましょう、頑張りましょう、とグッと腹に力を込め保護しています(と思われます)。

その中にあって、
特に私のように意志の弱い、情に流されやすいタイプの中途半端な奴は(人に言われると泣いてしまうのだが、自分で言う分には平気^^)
保護した後に、上の様なことをよく思ったりします。

この初夏は、千客万来でした。
もともと私は前ページに書かせて頂いたピアノとなるとを保護すべく、虎視眈々と捕獲器を借り、待ち続けていたのですが、
その間に
M区のみずほ母ちゃん(ある程度場所が確定されてる・・・)と5匹のヘソの緒がついた胡達を保護し、
子ども達がたくさん遊ぶ公園の滑り台
階段の下に、必死で生まれたての仔猫を守る
みずほ母さん
この子たちの事はそのうち書かせて頂きますね。

その後すぐに子供の学童保育にお迎えに行った際に「ヒカリちゃん」と遭遇します。

「非常にやばい状況」のヒカリちゃん
若い女の子が二人、この子を箱に入れてミルクを置き、「誰か拾って下さい」と古典的と言えば古典的なやり方で、まさにヒカリを遺棄するところでした。
そこに私、このおばさん(人に言われるとムカッと来るけど自分で言う分には平気)
が登場してしまう、という事になります。

その子達が言うには、この酷い状況の猫ちゃんと見かけてしまい、このままでは死んでしまう、と近くのホームセンターに段ボール箱とミルクとタオルを買いに行ったのだとか・・・。
自分たちが飼ってあげたり、獣医さんに連れていってあげたり、命を救うのではなく、又何処かの誰かに丸投げするために、再度捨てる、と。

「猫ちゃんを遺棄したら犯罪だからね。最後まできちんと責任もって面倒が見られないのであれば中途半端な手出ししてはいけないよ。」と言う私に、
電車通勤で今から電車で帰るところだから、私達ではどうしようもない、学童の真ん前に置いていいだろうか?ということで
「いいわけないでしょう?」という私、

ホント呆れてしまったのです。子供ではないのですから。

しかしながら、ではどうすれば良いのだろう?

私とて口で言うほど猫保護に長けている訳でも何でもなく、
時間が有り余っているわけでも、お金が有り余っているわけもではなく
家計の為、猫ちゃん達の為、必死に働く身で
仕事終わりで子供を迎えに来ており、今から夕飯を作らねばならない状況で、
家にはみずほ母ちゃんとやっと目が開く5匹の仔猫に、
どうしても保護したいピアノとなると・・・

この女の子達は無知なだけで、悪い子達ではないこともわかるし、ちょうど中学生の部活終わりの帰宅の子達にワラワラ囲まれ、引っ込みがつかない私、
とまあこんな大ピンチの時に、
なぜか無邪気なうちの当時7歳児が、ヒカリを抱き、なでなでし「大丈夫?お目々見えないの?」と訊いているではありませんか。

そっか、J(うちの子)は、いつもいつも私を見ている。
この子の未来に、こんな光景なんて残したくないのが本音です。
「猫ちゃんがああして道にいたこともあったね」ぐらいにひもじい猫ちゃんがいなくなっていますように。
私は、普通のしがないおばさんだけど、猫保護に長けてはいないけど、
こういう時のフットワークの軽さと馬力と決断力だけはあったはず!

私はす〜っと深呼吸をし、覚悟を決め「今回は私が保護するからね。連絡先だけ教えて。もうやめてね。」と一人の子の連絡先をきき、
「これはやばいな、助けられるのかな?」というくらいな状況のヒカリを車に乗せ
「J〜、お腹空いてるとこごめんね〜、猫の先生のところに行くね〜」と車を走らせました。

非常に苦しい決断でした、色んな意味で。
あの女の子たちの事は怒ってはいませんが、
やはり今でもどうなのだろうか?と心の中に黒い塊として残ってます。

自分があの子達の立場だったら、
あれくらい若かった頃は?同じ事をしたか?と考えても、「しなかった」とハッキリ言えるからです。
私も若かりし頃は、猫ちゃんが飼える環境にはいなかったけど、拾っては何が何でも獣医さんに走り、必死に里親さまを探しまくって頑張ったからです。
結果助けられなかった子に涙し、里親さまが決まったときは飛び上がって喜び、
今と比べたら荒かったにしても、やれる事はやってきた、という自負はあります。

私が恵まれた環境にいた?そんなことはありませんでした。家族に、友人に、職場に、期間限定で協力を仰ぎ、飼うことは出来なくても繋ぐまではしてきました。
当然、何かを犠牲にしました。時間やなけなしのお金や、親に平謝りしたり、と。
当時はデジカメではなく、写ルンですで写真を撮り、ポスターを作り獣医さんだけでなく、行きつけ?の本屋さんや駅前のお店、電信柱、に貼って、里親さまを探しました。
「元気になるまでだぞ!」と猫嫌いの父の罵声を浴びつつ、
「へへ〜」とひれ伏し・・・。

どうしても出来ないくらい若い頃(中高生の頃ですね)は泣く泣く見ないようにしてきました。獣医さんに連れて行くのは親になってしまうからです。
↑これが良い悪いは色んな意見があることと思いますが・・・

時間が経てば、あの子達も猛省する、と今は信じたいです。
それにはもう少し時間がやはり要るのでしょうね。

そして私、家にいる私のうちの猫たち、保護してるまだ懐かない猫たち、そしてみずほ母さん達、ピアノ、なると、つぶ胡の捕獲・・
お金は?時間は?置いておける場所は?と頭をグルグルしていました。
正直、崩れ落ちそうなくらい苦しかった、けど

もう仕方ないです。
あの女の子達はもう関係ないのだ、
私が見つけてしまった、私が最初にこのボロボロの仔猫を見つけてしまい手を差し伸べてしまった、と思うようにしました。これも運命です。

そして、私はコテンコテンに猫の先生に叱られます。わっはっは
「そんなもの、その子達にやらせれば良いんだよ。あんたが潰れたらあんたの猫たちはどうなるの?いい加減にしないと駄目だよ!」と。
はい、その通りです。自分で自分の首を絞めているのは、この私です。
どうしようもない駄目な人間は、実は私だったりします。
猫の先生は、私が潰れてしまわないように、いつもきつめなご意見を下さるだけで、目の前の患畜には精一杯の事をしてくれます。
私にはその口調でも、ヒカリには優しいです。
(本当は優しい人なんですよ!誤解されやすい人ではありますが)

しかしながら
その、先生はおっしゃる見て見ぬふりが出来たなら、どんなにか私の毎日は楽なことでしょう。もしかしたら先生も長年いろいろ見てきて、自分にも言い聞かせつつなのかも?と思うことがあります。
事実、「もう嫌だ」「もう駄目だ」と何度も思いました、この何年も。クチャクチャな家の中や空っぽなお財布、もらい手のつかない保護猫ちゃん、何よりもまだまだ手の掛かる人間の子の存在が苦しかったです。
「ごめんね〜」と謝りながら子育てするしかなくて、

どうして私は、「嫌」と言えないんだろう?
これで良かったんだろうか?と。
何度も危ないギリギリのところを通り抜けてます。楽々だったことは1度もないです。
今回の事だけではないんです。いつもいつも上手に人に頼る(言い換えれば丸投げする)人は悲しいですが、いるんです。

でも、人のせいにしても恨んでも時間がもったいないので仕方ないです。
私の限られた時間やパワーを、そんな輩のことで使うのが何とも不毛、と。
見る人が見れば、まだまだ甘いんでしょうが・・・(苦笑)


話があっちこっちしますが
猫の先生は、このボロボロの仔猫のことを出来ることはやってあげるけど
非常にやばいよ、覚悟しててね、とにかく温めてあげて、と言って手を尽くして下さいました。
くっついた目は、やるだけやってみるけど、ちょっと酷すぎるね、
片目だけでも希望はあるから!と言われました。

私は、この子の命が繋がりますように、この子に光が差しますように、と
「ヒカリ」と名付け、渾身の看病となります。

やはり非常にやばいヒカリちゃん
猫の先生は、助からない子にも助かる子にも人間には言葉を多くはかけません。ただただ無言で処置をして下さり、その表情から私は覚悟を決めるしかありません。
ヒカリは、レボリューションをしてもらっても、たかっているノミが逃げ出しませんでした。
こうやって猫ちゃんを保護する人は見たことがあると思いますが、
助けられなかった仔猫、亡くなった瞬間に虫が上ってきます。
ヒカリはもう亡くなる子と変わらないくらいに虫すら跳ね返す力も残っていませんでした。

これはやばい。
たとえ助からなくても、猫の先生の治療を受け(日本一という意味)温かい清潔なところで人の側で、天国に逝けるなら、それもそれかも知れない、と自分の言い聞かせました。


でも、奇跡ってあるんです。

少し希望が出ては、又危険な状態になり、としばらくは安心できない日々が続きましたが、ヒカリは助かりました。
生きたかったのですね。

誰が悪かった、正しかった、とかそんな理屈は
今となっては、ヒカリちゃんにとってみたらどうでも良いことなのかも知れません。
答えは出ませんね。
やるしかないです。
その中から人が少しでも学ぶことが出来れば、と自分に言い聞かせる私です。
あくまで自分の問題です。

ヒカリちゃんのその後は続きますよ〜

頑張るヒカリ