2015年12月14日月曜日

11月は、花火を思います。

花火ちゃん、永遠の8歳。私の永遠の宝物です。
昨年の11月の4日に花火は逝きました。
最期はキュッと私の手を握って逝きました。「ありがとう」と言ってくれたような気がしてました。
別れの時が近いことを家族中がわかっていましたので、皆で花火を見守り、まんじりともせずいたのですが、
人間の子供が眠りにつき、夫がコンビニまで飲み物を買いに行ってくれている、ほんの瞬間に私と花火だけになったときに、花火は逝きました。

「らしいね、そうなるような気がしていた。」と夫は言い、
ここまでの花火の苦しさや我慢や頑張りを思うと、特に寝たきりになってしまったこの1ヶ月は、本当によく頑張ったので、
「楽になったね」「体が軽くなったね」「花火ちゃん、ありがとう」の言葉しか出てきませんでした。

折しも去年の11月1日から3日まで
私達家族は新潟にいる亡き母の弟の家に遊びに行く予定にしてました。

予定が決まってから花火の容体が悪くなったのです。
8月の30日にFIPと診断され、
9月の7日には血栓を発症、それはもう助からないか?!と思ったのです。
猫の先生に奇跡的に助けてもらい
退院、しばらくはヨタつきながらも奇跡的に歩けるようになり、
猫の先生でなかったら、得られなかった花火との密な時間を頂きました。
今思えばかけがえのない時間でした。

そして、血栓が再発、寝たきり、となったのです。




花火は、寝たきりになっても凛として、花火のままでした。

当然、旅行は取りやめようと思った私達、
母が亡くなる前に「1度行きたいわ」と言っていた叔父の家、あんなに早くに母が亡くなるとは思っていなかった、それでも又、時期をみて計画すればいい。
叔父夫婦は元気で、私達にも未来がある。
花火の残された1日1日を思うと花火から離れてはいけないような気がしました。

でも「猫のせいにして人間の予定を変えないで良いから、猫も迷惑するから。
行ってきなさい。ぼくがちゃんと診ててあげるから。花火を信じてあげなさい」と猫の先生に言って頂き、

そもそも11月の1日まで花火の命がもつのだろうか?という状況で、
猫の先生に預けたにも関わらず(インシュリン注射の必要だった市松も一緒に預かってもらいました、大好きないっちゃんと隣にしてもらい、花火は安心だったと思います。)
きっちり3日にお迎えに行ったときまで花火を生きて私に返して下さったのです。

そして、4日でした。
花火は、私達の元から旅立って逝きました。

花火ちゃん最期の夜、花火テントに寄り添う市松とタマリ。
物言わぬ猫たち、オモチャを運んでは寝転がる市松。


「ありがとう」しかない、頭ではわかっていました。
しかしながら、私は花火の死と向き合うことは出来ず、逃げることになります。
泣き出したら最後、涙を止めることは出来そうもなく、
膝をついて立ち止まったら、立ち上がれない、
トマトを失い、クコを失った私は、猫ちゃんの死に向き合う余力なんぞは持ち合わせていませんでした。

元気だった時の花火とうちの子、寝室で^^
こうして文章に書くことも出来ず、バタバタと人間のこと、猫ちゃんのことを
し続けながら、背中越しに変わらず花火はこの家にいるような、キャットタワーや食器棚の天辺の「花火の定位置」にいるような、そんな気でいました。
「花火はそこにいる」と。
いない事を認めたら負け、といった感じです。

その後も私は、胡つぶの行方不明や市松の死、というとんでもない経験をするのですが、
それでも、その中にいても、どうしても「花火がいない」ことは認めず、知らん顔してきました。

そして、今年の11月の4日
私は口にします。
「花火が死んでしまって1年なんだね」と。
と、同時にあとからあとから涙があふれ、膝をつき声をあげ
「花火!花火!嫌だ!戻って来て!」とひとしきり泣きました。
まるで、今花火が死でしまったかのようでした。

テーブルの上も花火の定位置でした。
書いても書いても書き尽くせないほど、言葉では表せないほど可愛い、
どの子も可愛いのです、が
まだあと10年は続くと思っていた花火との時間をいきなりもぎ取られ
彼女なしで回っていっている我が家、変な感じがします。

今頃は花火の元々のパパと天国で軽くなった体で走り回っているのだろう、と思えるようになったのも、ほんの最近です。
今も尚、花火の毛の感じをこの手が覚えており、花火も鳴き声もグルグルもこの耳が覚えています。忘れるわけもなく、
記憶の中にしっかりと強く刻まれています。

私のように、猫ちゃんをたんまり保護する人間の家だと
花火は辛かったかも知れない、と考えないわけではありませんが、
彼女がこの家の中心にいたときが、私の猫ちゃん歴史の中で1番幸せだったな、と思います。
ムキになって、
立ち止まらず、考えないようにして突っ走ってきました。
そうするしかないような苦難にも襲われましたし。
現在もまだ、保護猫ちゃん達がいます。

突っ走るしかない状況には変わりはないのですが、
少し振り返りつつ、泣く日もありつつ、立ち止まって考え込んでもヨシなのだな、と思う今日この頃です。

猫ちゃんの病気の数々の前では、人は無力ですね。
どんな病気になろうと、人は、それはもう必死で出来ることをするしかありません。
猫ちゃんには何も罪はなく、ただただ可愛いのです。

花火は、今は亡き私の従兄弟の猫でした。ご覧の通りペットショップで買われた猫です。
「やっぱりお金を出して飼う猫ちゃんって、可愛い作りになっているよね〜」と
夫と何度か話したことがあります。
み〜んな可愛いのには変わりないのですが、やはり「別格」な感じがしました。

そして、今も胸を掻きむしられるのは、
考えたところで仕方がないのは、
ペットショップで売られていた花火がFIPに感染していたという事実です。

何かがおかしい。

でも、もし先に感染症を調べられてFIP感染がわかっていたら、
花火は売られるどころか殺処分されていたかも?と思うと
調べてなくて結構だったのです。

が、でも、何かがおかしい。

FIPに限らず、こんな感染症は感染しても、
「体の中にセットされた時限爆弾があるけれど、爆発するか不発弾かわからないよ〜」ってなもので、
何事もなく、発症せず天寿を全うするかも知れません。
それはもう神のみぞ知る、未知の領域です。
感染しつつも直接の死因は又、別かも知れない。
花火の死因もFIPではありません。

花火は猫エイズと白血病は調べられており、マイナスでした。
今考えてもゾッとするのは、花火の場合はそれがプラスと出ていたら、やはり売り物にならず殺されていたのではないか?と恐くて仕方ないです。
それが発症するしないは別として、殺されていたかもしれないのです。

何かがおかしく、そしてバカバカしい、

考えたところで私が何かを変えることも出来るわけではないのです。

それでも、猫ちゃん達は花火のみならず、自分のそんな背負った宿命を恨まず凛と生き、そして逝きます。人間はもっともっと知識を持ち、そんな彼女達に出来る最善のことが出来るようにならなければいけないのに、なかなか難しいです。
恥ずかしい限りです。

カボスと花火、ほんの2年前
ずっとこんな可愛らしい姿を見ていられると
信じて疑いませんでした。

クコにしても花火にしても天寿とは言い難い、若くして大病を発症した子に対して、
オロオロ泣く私に猫の先生は必ず言います。
「この子、今からすごく頑張るから。あなたは目をそらさず見てなきゃ駄目だよ」と。

私は、「はい」と返事をし、

私と暮らしたこと、私の手に掛かったこと、その全てに抗うことさえ出来なかった彼女たちが「この家で、この人で良かった」とまでは思ってくれなくても
私がいつか彼女たちがいる場所に行ったときに
「久しぶり〜」と駆け寄ってくれるくらいの信頼は得たい、と願い看取りました。

人間というのは、猫ちゃんの前では本当に無能ですが
彼女たちのおかげで確実に強くなっている私がいます。

花火が生きた8年は間違いなく存在し、亡くなった従兄弟の代わりに私達は花火と共に生き生きと笑顔で暮らした8年間は素晴らしい日々でした。
確かに短かったかも知れない。それでも何ものにも代えられない8年でした。
あんな可愛い子と暮らせて、私達は幸せでした。

ありがとう、花火。

花火ちゃん、逢いたいね。一緒に暮らせて本当に良かったね。
楽しかったね。
人間のチビの暴虐武人さも花火は許さなかったね。
「花火ちゃんが叩いた〜」と言いつけにくる我が子に、吹き出す私、
それでも花火は言い訳ひとつせず(笑)、「当然だにゃ」と堂々としてたね。
花火は丸いモノをよく転がしてたね。リンゴもカボスもみんな転がしていたね。
どっちが花火かわからなかったよ。
う〜んと伸びをして天井を持ち上げていたね。ストーブの上のヤカンの音が花火は好きだったね。
私は・・・花火を見るとき、いつも笑っていたね。

キャットタワーの天辺の花火
ここから立ち上がり、天井を持ち上げるのです^^


今もキャットタワーの天辺に花火の面影を探しつつの日々です。
でも、きっと大丈夫です。


今回はメソメソ想い出話編でした。



さて!ワカメちゃん、引き続き里親募集中です^^
よろしくお願い致します。

食器棚の天辺のワカメ

いつでも里親募集中

次回は、お届け完了した子たちの事を書きますね。
12月だというのにご報告が遅れていてすいません(>_<)ゞ



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