2014年9月29日月曜日

市松のこと〜インシュリンな日々〜

9月の市松、カビカビが出てしまいハゲが・・
トマトが亡くなったのが、4月の16日
そして、市松が猫の病院を退院したのが、4月の18日でした。
「トマトの分まで頑張ろう!生きようね^^」と言われての退院でした。

1月に黄疸で生死を彷徨った市松、なんとか助けて頂き順調な日々だったのですが
再び急激な容体悪化で入院したのは、4月の5日でした。
本当に、猫の容体の変化って言うのは、「ん?」と気づいたときには
かなり悪い、という。
飼い主泣かせ、なんて生やさしいものではなく、『肝を冷やす』とは
よく言ったもんだと思います。

1月の入院の時、猫の先生はホルモン療法を市松に施して下さり
今に至っています。
(詳しくは調べてません、病識をつけたところで不安ばかりになるので、
私は市松の飲んでいるお薬も調べず!
猫の先生を信じていれば、『出来ることはやっている』と納得がいっているのです。
今、市松が生きていることがその証明だと思ってる次第です^^)

4月の市松の状態悪化は血糖値があがってしまった為でした。
その時飲んでいたお薬のキャリーオーバーだと先生はおっしゃいました。
しかし、そのお薬を飲むのを止めてしまったら・・・
市松の命は、そこで尽きてしまう、と素人の私でも察します。
なんとかインシュリンを打たずに済む方向で、と先生は頑張って下さいましたが
市松の血糖値は下がらず。

インシュリンを投与し、命が助かった形となりました。
インシュリンを打つ、ということは、ずっと毎日市松の命のある限り
1日も休まず、私は市松に針を刺し続ける、ということです。

そして、トマトが亡くなりました。

何が何だかわからないくらいの悲しみの深さでした。
そんな中、私は注射の刺し方の指南を受け、市松退院となったのです。
悲しみに浸り込んで、目の前が真っ暗になっている暇もありませんでした。

市松の後ろ姿?首の下のハート柄の中のハゲが毎日注射されているトコ

インシュリンと注射ポンプ。毎朝毎朝休まず毎朝
とにかく必死でした。

猫の先生は、
「毎日同じ時間にインシュリンを打つ。1週間に1度、インシュリンを打ってから7〜8時間後の血液を検査して、次の1週間のインシュリンの量を決める。

たったそれだけの事。
あとは他の子と同じ。」

と、おっしゃいました。

ほ〜

ガチガチに固まって「どうしよう、怖い、大丈夫だろうか、私
大丈夫だろうか、市松」となっていた私は

「それだけの事、かぁ」と少しだけ(ホントに少しだけでした、笑)楽になった気がしました。
そして退院の次の朝から、私が市松にインシュリンを打つ毎日が始まりました。
先生と奥さんに教えてもらった通り、緊張でガチガチだった日から
だんだん慣れてきた感じがします(^^)

毎朝、起きてから人間のご飯をなんとかテーブルに並べ終わった7時に
市松にインシュリンを打ち、猫ちゃん達のご飯の始まりです。
それぞれのフードが違うため、把握も大変ですが、
「はい!市松」「はい!花火!」「ほい!カンロ!」「はい!ツララ」
「お待たせ、たまり」とフードをあげ、
最後にトマトに練り練りと作っていたご飯がないことに胸がギュ〜ッとなり、
それからケージにいる、「クコ!」「胡つぶ!胡ぶり〜」とフードをあげ
自分の朝食σ(^◇^;)

人間のチビを夫か私のどっちが保育園に送るのかでもだいぶ勝負は違ってきますが
疾風の如く、お弁当を詰め、顔を作り(わっはっは)、出勤、と。
このペースに馴れるのには少し時間が掛かりましたが、
トマトを失った私は、時間に追われ、仕事に追われ、子供の事に追われ、
と立ち止まる時間がない方が救われていました。

疲れが出てくるのは、ずっと後になります。
年とると筋肉痛が日数が経ってから出るように(苦笑)

私は倒れませんでした。
倒れると市松にインシュリンを打つ人が・・・。
市松の命に関わるから、必死だったのでしょう。私は市松の母です!
人間の潜在能力のすごさ(自画自賛)。
これは、人間の子供が入院したり病気になっても、やっぱり母である私は
すごいパワーで乗り切るのです。
母はそういう成分で出来ているのですから。

そして、1週間に1度、インシュリンから7〜8時間後に猫の病院に行きます。
病院の午後の診察は3時からなので、朝7時にインシュリンを打ち、
ピタッと3時に行けば8時間後です。

ただそれだけの繰り返しです。

でも、市松は普通に暮らしています。
市松は9歳になったばかりですが、
でも体の中は、亡くなる前のトマト17歳の子くらいだそうです。
免疫力が0!その為にすぐにカビになったりします。
他の子が跳ね返せるものが、市松には跳ね返せないのです。

でも元気ですよ^^

奇跡は色んなトコにあるもんです。

市松の寝床は仰向けに寝ている私の胸の上。幸せです。
(ちょいとスマホが見にくい、なんだか寝苦しい、という、笑)

6月の市松^^カビ・ハゲる前、可愛い!
クコがあんな事になるとは夢にも思わず、花火がこんな事になるとも思わず
ただ市松の命を繋ぎ、ただただトマトの死と向き合わず、逃げていました。
泣くこともグッと堪え、泣きませんしでした。
泣き出したら、そう簡単には止まらないことがわかってましたし、
泣いてる他は、何も出来なくなることもわかってましたから。
4月、5月、6月は、そんな感じで過ぎていきました。

やっと書くことが出来ました。



さてさて
この子は白ちゃん、青い目の男の子。足が1本不自由です。

9月の28日の猫ちゃんの譲渡会、行ってきました。
私もお世話になるやも知れぬ、と見学です。
出掛ける際には、夫が「もらってこないでよ!」「ホントにもらってこないでよ!」と
ふりか?と(笑)

人間のチビ連れだったため、写真が上手に撮れませんでしたが
猫ちゃん達は、港区の子達と天白区の子達でした。ボラさん達、ご苦労様でした。
本当に頭が下がります。
数えてはいませんが、20匹くらいの子がいた中、3匹の仔猫ちゃんが里親さまが
決まったそうです。
あ〜良かった、良かった。

その中、写真の白い子が、私は後ろ髪が引かれて引かれて、持って帰りたい気持ちを
グッと堪え、帰ってきました。
以前に私が里子に出したアタリちゃん(現:リリーちゃん)そっくりな青い目の白い子。
道路に出てしまったのでしょうか、足が1本不自由でした。
その歩く姿が、今の我が家の花火の歩き方にダブり、「うちの子にしたい・・・」と
つぶやき、「いや!駄目だ、市松と花火が最優先だもの」とぶるんと首を振った私です。

うっ苦しかったです。
そして、再び『預かりさん』のお宅へ撤収していった白くん。
あ〜いつかあの子に素敵な終の棲家が与えられますように・・・。

もし、このブログを見て下さる方の中に真っ白で青い目の子をお探しの方がいらしたら
(リリーちゃんの里親さまはそうでした^^
公園のノラ仔猫だったアタリが、富士市でお姫様のように可愛がられています^^)
ご連絡を下さいませ。

オマケ
夏を乗り切ったもふもふ・ツララ




2014年9月21日日曜日

2匹目の奇跡!花火ちゃん

花火さん退院してきましたよん♪

「僕が見てきた中で、血栓でここまで回復した子は2匹目」と
猫の先生はおっしゃいました。
「これはね、奇跡だからね!」と猫の奥さんがおっしゃいました。
花火ちゃん、本日(9/17)退院とあいなりました!10日間の奇跡です。

クコが亡くなったショックも癒えないのに、
花火が病気になっていた事がわかったのが8月の30日です。

FIPです。

また?
私は愕然となりました。
どうしてうちの子を、こうも立て続けに・・・
花火は8歳、クコと違って若いとは言えず、そして買われた猫です。
「ちょうど8歳くらいから又出るんだよ、腹膜炎は」と先生。
ただ、クコや10年前のウズラのようにあっと言う間に旅立ってしまうことはない様子です。
「とにかく現状維持で頑張ろう」と。
8月30日の花火ちゃん、アンニュイ・・

でも、あまりに続くのが耐えられなくて、
神頼みに走った私達家族、神社にご祈祷してきました。
「トマトがいなくなった上にクコちゃんもいなくなって、
これ以上、私から猫ちゃんを持って行かないで下さい!」と。
花火のもともとの飼い主さんのお墓参りも。祈れるものには何でも祈った私です。

花火は我が家の象徴のような子で、営業部長として活躍^^
お客様がいらっしゃれば、我先に犬のようにお出迎え、「撫でれ」と目の前に居座り、
しばらく経つとキャットタワーの天辺から見下ろしたり
も少し時間が経つと食器棚の上でコロッと寝て、人間を見ている、という。
人が大好き、コロコロとよく遊び、ホント可愛らしい胡です。

そんな花火は、その頃にはキャットタワーの天辺も
食器棚の上にも上らず、ドスドス走らず、明らかに元気がなく
ショベルカーのように食べていたご飯も、あまり食べなくなってしまいました。

その様子を見ているだけで私は苦しいんです。
何かに祈らずにはいられなんです。

そして、そんな神社帰りの夕方に、
猫の病院で、花火を診察台に乗せた瞬間に異変は起こりました。
いえ、車の中で異変は起こっていたんだと思います。いつもよりキャリーから出せ出せと
ニャーオニャーオと怒っていました。
激痛だったのだと思います。

診察台に乗せた花火の後ろ足はダラッと伸びきっており、必死で立とうと歩こうとするも
立てず、歩けず、呼吸も苦しそうで口をパクパクさせていました。
意識も朦朧です。
このまま死ぬのでは?と言う形相に
私はショックと恐怖で息も絶え絶えで足がガクガクしてしまいました。

「血栓だ」と猫の先生。
「助けられるかどうかわからない、今夜逝ってしまうかもしれないけど預からせて!」と
私がアングリ口を開けてボロボロと呼吸も出来ないくらい泣き出すと
「この子が今1番苦しくて、1番頑張ってるの!
そんななら猫飼う資格ないよ!ちゃんとしなさい!」と
めちゃめちゃ叱られました(苦笑)

猫の奥さんは、意識を失っても尚暴れる花火に噛まれても
微動だにせず、
「母親がそんなでどうするの?
今の今だから助かるかもしれないから!」とおっしゃいました。

もう何が何だか・・
自分の子が自分の目の前で車に撥ねられ、生死を彷徨っているような
いきなりの花火の激変に、ただただ呆然となり、震えながら泣いていました。

その夜は眠ることもままならず
携帯電話に抱きしめて横になるしかなかったです。
翌朝も・・仕事なんて休みたかった・・
でも、休んだら、私がちゃんと頑張ってないと歯を食いしばっていないと
花火を連れて行かれてしまうんではないか、とただ怖くて
出勤し、仕事してました。

幸い、猫の病院からは電話はなく、
夕方頃には、「もしかして助かる?花火!」と鳴らない電話に
「血栓は溶けたのではないか?」と。
仕事終わりで子供を保育園に迎えに行き、そのまま花火の面会へ行きました。

昨日あんなに叱られた猫の先生は、ニヤッと
「大丈夫だよ。まだ安心は出来ないけどね。」と不敵な笑みを浮かべ
奥さんも「ここだったから、本当に幸運、強運だね!」とニッコリ、
「花火ちゃん、よく頑張ったね〜」と。

私は全身から緊張と恐怖がスッと抜けていくような感じになり、
抱いていた子供(人間)をズルズルと落としてしまいました。
「ママ、花火ちゃんが見えない!」と子供に言われ、ハッとなり
子供を抱き直して、点滴に繋がれている花火を二人でガラス越しに見てました。

花火は、生きてました。

そう、花火は強運です^^
血栓で突然死、と言うことを耳にしたことはありました。
私が仕事中だったり、家を空けている時だったら
寝ているときに同じ事が起こったら、助からなかったかも知れない。

猫の病院の診察台でそれが起こった花火、
日本で1番最強な場所での血栓だったと私は思います。うん、日本一です。

本当に良かった・・・。
助けて下さった先生と、頑張った花火に感謝するのみです。


そして花火は退院しました\(^O^)/
奇跡なんですね!
ちゃんと後ろ足は動いてます。
お盆にお留守番の花火。食器棚の上です^^

ともあれ、血栓はなんとかなってもFIPはそのままなので、
やはり、以前のような元気いっぱいの花火ではないのですが、
この愛くるしい顔を、家で見ていられる、ミッチリ詰まった毛をナデナデ出来る!
この幸せ・・・

ああ、どうかこのままで、少しでも永く・・・
2Fのベッド脇のソファでの花火。7月。
今の花火は、階段を上ることが出来ず一緒に寝室では寝られないのです。







2014年9月18日木曜日

いろいろなお話ししたいこと♪

みなと猫の会
幸運にもお知り合いになれた方からのお知らせになります!
(猫ちゃん捕獲器を貸して頂いた方です^^)
猫ちゃんの譲渡会が我が家地域の方でありますので、お近くの方、そうでない方も
是非!お立ち寄り下さい^^

「そろそろ猫ちゃんと暮らしてみるかぁ」なんて思われている方も
ペットショップには行かずに、是非ともここへお願いします。

我が家からは今回は参加できる猫ちゃんはいないのですが、思い切り顔を出そうと思ってます!
私にとっても初めての経験ですので^^


杏くん♂推定11〜12歳

さて!この愛くるしい柄!なんて素敵な大きなぬいぐるみのような杏くんです!
我が家から、初めて里子に出した猫ちゃんです。あんずくん・・・
か、かわいい。
我が家の縁側でミューミュー鳴いていたときは、手のひらに乗るくらいだった
小さな小さな杏君、今抱っこしている彼女の息子になって10年以上経って
こないだ再会したのです!

こんな幸せは滅多にないんです!
『逢いに行きますね』『遊びに行かせて下さい』と里親さまに私は言います。
その時も、今もまじめに本気で言っているのですが、
叶うことは滅多にないことなんです。
嬉しかったです〜
もっさりと私のことを忘れ、「シャー」と鳴いた杏君(笑)。
いいんだよ〜
君が彼女を支え続けて家族を守り続けたんだね!

そして、杏君とうちの市松は絶対血が繋がってます。
(自由すぎるこの柄・・・)
心ない人間が、生きていくことは出来ない事をわかっていて、悪質にも
我が家裏の側溝に捨てていったんです。
市松に至っては目も開いてませんでした。

犯人がわかれば、末代まで祟ってやる!くらい怒っている私です。

この子が我が家にいた、あの頃、
里親募集の貼り紙(当時はインターネットで、なんて頭になかった私です)を
獣医さんや町内の回覧板などに貼っていたあの頃、
我が家にいたウズラもトマトもこの世にはいません。
でも、杏君と彼女と話していると今でもあの時の光景がありありと浮かんできて
泣きそうでした(;_;)
杏君は、覚えているかな?私の声、思い出さなかったかな?

久しぶりの再会だった杏君のママは、
「私、杏のこと、uzumakinecoさんが里子に出した猫ちゃん達の中で
1番幸せにしている自信がありますよ(*^^)v」と言って下さいました。
素直に、ホントに嬉しかったです!

「いや、うちだって!」と言う声がたくさん聴こえてくるような気がしますね^^


抱っこされる大河くん
ご報告が遅れました。
お見合いがうまくいった大河くん、素敵な里親さまに恵まれ
「ずっとご縁が頂けなかったのは、この方達に出会うためだったのね〜」と
本当に心からこのご縁を喜んでいた私でした。
トライアルも里親さまの頑張りで、一足飛びには行かなかったにしろ、幸せな方向へ向かっていました^^

お外からおうちの子へ、
激変だった大河くん、頑張った大河くん、
優しく寛大な里親さま、

なのに、私は大変なルール違反を犯してしまいました。
大河くんのもともとの保護主さんが彼恋しさに体調を崩されたのです。
やはり1年近く、ずっと側にいて、大切に大切にご縁を待っていたのです。
ずっといた子がいなくなって、初めてガックリくる人・・・
ご本人も自分がこんなに体調を崩すとは夢にも思っていなかった、と号泣していました。

誓約書も交わし譲渡した猫ちゃん、申し分のない素敵な里親さま、
本来ならあってはいけないことなのに、
悩んだあげく、私は理由を話し、大河くんを返して頂きました。
1週間も暮らせば、もう可愛くて仕方なかっただろうに、里親さまは
「いいですよ、お気持ちわかりますもん。」と泣く泣く返して下さりました。
今でも「何かあれば戻して下さいね」と気に掛けて下さってます。

何匹も里親さまの元に猫ちゃんをお届けしてきて、私自身も初めての経験でした。
「絶対こんなこと駄目!言えない!頼めない!どうしよう・・」と最初は思ったのです。
でも・・・

只今、大河くんは元々の保護した方のおうちでお外ではなく
おうちの中で家猫修行中です。
頑張ってます!

このことを私は忘れず、十字架のように背負う覚悟です。
色んなご意見にもきちんとお答えするつもりでいます。
ご迷惑をお掛けした里親さま、大変申し訳ありませんでした・・・。

里親さま宅でのノビノビ大河くん

お目々が開いたふくくん
さて!そして、福くんもお届けしてきました^^
只今、先住猫さんが頑張り中です〜福くんはふんぞりかえっているそうな(^^ゞ
これまた素敵なご夫婦のおうちに縁づいた福くん、
きっと幸せになる、こんなに可愛い子ですもん!
助かった命がこうして里親さまの元へ、

頑張ったのは、やっぱり猫ちゃんです。
私は、何度も見届けられて、幸せ者ですね^^


こちらもふくくん(うちではコカゲくんでした)
さてさてさて!
そして、こっちのふくくんです!うちではコカゲ君でした^^
風格が出てきました〜もともと美男子君だったのですが、磨きが(黒光り?)かかってます!

「ふくくんが来て1年です。」と里親さまから写真付きのメールを頂き
飛び上がって喜んだ私です。
苦しかったり辛いときは、里親さまからのこういうお便りが1番効きます!
嬉しい限り!
ありがとうございます!

(何が辛くて何が苦しかったのかは、少しずつ小出しで書く予定です。すいません・・)

2014年9月16日火曜日

全ての始まりはこの胡・・・(@_@;)

初めまして、胡ぶりです^^母でありババであり
前回の続きになります。そもそもこの胡ぶりちゃんが我が家近くに現れたのが
3〜4年前でしょうか?耳が切れていたために、
「あら?この子、地域猫ちゃんなのかしら?どなたかがきちんと把握してらっしゃる子なのかな?」と思っていた私がバカでした。

メスなんです。
そして、飼い猫なのに外に出している猫ちゃん、しかもオスだからいいやと去勢していない猫ちゃんがいて、
数々の悲劇が繰り返されてきたのです。

その悲劇も、『私にとって』悲劇なだけで、関係ない人にはぜんぜん関係なくて
その外飼いオス猫ちゃんの飼い主にとっても関係のない話なのでしょう。
頑張って生き抜いたのは、この子、『胡ぶり』です。

ある日、仔猫を連れて我が家の縁側にヒョコッと顔を出す胡ぶり。
『げっ避妊手術されてない!地域猫ちゃんではないんだ!』と驚愕する私。

暫く顔を見せない。
ヤキモキと『あの仔猫ちゃんたちと胡ぶりちゃんはどうしてるんだろう?』
なんだか片思いにも似た感じで、やって来てくれるのを待つだけです。
猫ちゃんの縄張りは、そんなに広くはないのはわかっているのですが
ここ中途半端な都会では、道1本入ると全くわからないのが現実なのです。

かといって、用もないのに胡ぶり一家を探してさまよい歩く勇気もない私。

棒の先に歯ブラシをくっつけてナデナデ

そして、またしばらく経って、件の胡つぶちゃん、そしてザラメちゃんと並んで
我が家の縁側に!!
胡ぶりちゃんとは時間差で来るようになりました。
クコちゃんが我が家近くに彷徨うようになるには、また時間差があります。

ご飯を置いて、距離を縮め、そっと縁側のガラス戸を開けて隙間を作り
ソッと猫ちゃんが入ってきた瞬間にガラス戸をピシャリと閉めて、保護。
↑これがいつも私のノラさんの保護の仕方です(苦笑)。

その時に保護できたのは、ザラメちゃんのみ。
すんでのところで胡つぶは保護できず、クコに至っては『もう1匹黒猫の仔猫がいたはずなのに・・・』と姿も見せませんでした。

そして、ザラメちゃんはお伝えしたとおりの家猫修行を積み(*^^)v
今は湖西市の素敵な一家の家族です!

そして時間が経ち去年の7月に又!!!
胡ぶりが仔猫を連れてやって来ました。3匹。むすびちゃん、こかげ君、スズメちゃん。
ほぼ同時期に、胡つぶは5匹の仔猫を引き連れて・・・姿を見せるという
私の猫歴史の中でも、1番でかい眩暈を喰らった瞬間でした。

根こそぎ仔猫ちゃんたちは保護!8匹です。
懐いていたのは、むすびちゃんと後発の5匹中のミミズクとシズクのみでした。
苦しかったです。
人間に懐いているのといないのと、それはそれは大きい差があります。

そして仔猫は可愛いけれど大変です(-。-;)
懐いていても懐いていなくても・・やっぱりやんちゃをするのです。
苦しい日々でしたが、黒猫のむすびちゃん(現:パルちゃん)、コカゲくん(現:ふく君)は
サッと里親さまが決まり、その後は苦しみましたね(苦笑)。

でも!諦めなければ、ちゃんと仔猫たちは里親さまの元へ(*^^)v

クコも保護でき、
残るは、このお母さん達コンビでした。
猫ちゃん捕獲器という飛び道具をお借りすることになりましたが、無事に保護!
即、避妊手術。
一旦、脱走した胡ぶりも保護、抜糸がまだだったはずが・・・糸はなくなってました(苦笑)

2匹とも今は大きめゲージに入り、家猫修行中です。
ケージに閉じ込めることは、なんだか可哀想な気がしてたのですが
猫の先生曰く、この方法が1番早く懐くそうですよん♪

そしてお友達から聴くところによると
生粋のノラさんが人間に心を許すまでの時間は、その子が外にいた時間に匹敵するそうです。
個体差はありますが、
ノラでも懐く子はすぐ懐くし(^_^)b

仔猫なら仔猫のうちの保護が有効なわけですね。

胡ぶりちゃん、早くに保護してあげられなくてごめんね(T.T)
こっからが私たちの頑張りどころだよ!

胡ぶりちゃんは、
ザラメちゃん、クコちゃん、胡つぶちゃん、
コカゲくん、むすびちゃん、スズメちゃん(現:ももちゃん)の母であり

ミミズクくん(現:セサミくん)、シズクくん(現:なめたけ君)、カノコちゃん、ゴヘイ君、コバンちゃんのおばあちゃんです\(^O^)/

私が早くに保護しちゃってたら、この胡達は生まれてこなかった・・
不思議ですね。
やはり、物事には運命というか逆らえないものが存在するのだ、と思います。

やるしかないです^^
この表情・・・先はながいぞう(-.-#)

これが、我が家の3月の出来事です。
半年経ってのお披露目・・・

色々ありすぎて、すいません…>_<…