2014年5月4日日曜日

トマトさん、この世はどうだった?

「ごめん、トマトが息をしていない・・」と
猫の先生から電話があったのが4月の16日、22時前の事。

私は、「はい ありがとうございました・・・朝迎えに行きます。」とだけ答え
ひとしきり泣きました。

トマト17歳(推定)1997〜2014
私の猫人生は全てこの子から始まりました。

「あ〜私の側で逝くこともしなかったんだな、トマトらしいな」
「もっと手を焼かしてくれることもしないなんて・・・」と天井を見上げ声をあげて泣く人間。
トマトの亡骸は猫の先生の所にあり、本当の意味で私が「トマトがこの世からいなくなった」と
痛感するのは、もっと後になります。

 つい最近まで歳を取っているのか?この子は?と言うくらい
変わらない若さで愛くるしさを振りまいていたトマト、
賢く、人の心を読み、この家の全ての事がこの子がいたからこそ回っていた。
たくさんの猫ちゃんが、我が家にやって来て、そして里親さまの元に幸せに出発をしたり、
縁あって我が家の子になったり、
全てがトマトのご加護?の元に・・・。

ふとある日、14歳になった頃に痩せ始めカサカサと仔猫の様な落ち着きのなさ、
「甲状腺機能亢進症」だった。
それでも今はフードが進化しており、
y/dを与え始め、また太りはじめ、何事もなかったような日々。

そして又ある日気づくと
また痩せ始め、かかりつけの獣医さんの見解は「腎不全」「老衰」
皮下注射が始まり、
私は「あの道へ行くのだ」と覚悟を決めたのが、ついこないだの様。

我が家の他の猫ちゃんのご縁で、猫の先生に診てもらい
結果「肝臓」 。年齢も年齢なので仕方ない部分はありつつ、

飲み薬を吐いてしまう(けっこうな大きさの薬で、
いま我が家ではタマリちゃんが毎日飲んでいる)トマトは
1日おきに猫の先生に注射してもらう。
それが3日に1回、1週間に1回、と安定した日々。

我が家から猫の病院の距離を考えると、大変ではないと言えば嘘、だけれども
毎日、皮下注射をすることを思えば全然平気なのでした。
ありがたい話です。

トマトは、一番太っていたときは5kgと女の子にしてはズッシリ丸く大きく
「オスですか?」とよく訊かれたものだった。

(↑15年前のトマト、首輪が懐かしい。ホラ!愛くるしい。)

猫の先生のお世話になるようになった頃には3kgを切っており、
少々辛かったが(見てる人間は、)。
猫って、玉手箱をあけた浦島太郎のようにいきなり老化します。
いきなりです。
そして、またいきなり。

でも、なんのかんのとまだまだ生きてくれると思っていました・・・

だってトマトってそういう猫ですもん。

我が家は、市松が重篤な状況が続き、入退院を繰り返す今日この頃。
プライドの高かったトマトさん・・
「順番ってものがあるのよ!」とでも思ったのか
それは、いきなりのことでした。

(↑3月のトマト、子供の食べ散らかしの向こうで、絵的に一寸法師っぽい)

15日に仕事から帰ると、トマトは洗面所の冷たい床の上で倒れていた。
思えば、朝大量の水が吐いてあったのがトマトのモノだったのだと。
多頭飼い故の把握の困難さ。
私は飼い主として最低なのかも知れない。

「トマト!!いったいどうしたの?!」と抱くと私の顔をみて
安心したように喉をゴロゴロ鳴らして「にゃ〜ん」と鳴いたトマト。

私はギュ〜ッと心臓を掴まれたような不安に襲われ、
地に足が付かないような頭がカ〜ッとなってしまったような、

あのゴロゴロが今でも私の耳に残っています。
グッと喉を伸ばし私に体を預けたトマト、
あれがトマトの私への最後のメッセージだったのだな、と。

そして猫の病院に走った私。

先生の顔は険しく
「順調だったのに・・・発作があったか・・・・これはやばいな。体温が下がり始めている。
最期が苦しいと可哀想だから、預からせて。」とおっしゃった。
ガクガク震えて、気付かず仕事に行き、自分を責める私に
「あなたが働いているから、こうして猫が飼えているんでしょ?
胸張ってなさい。明日も何も変わらず仕事に行きなさい。」と。

その後は・・
帰宅しても眠れず朝を迎えた。とにかく電話が鳴るのが怖くて、
でも枕元に電話を置いて、怯えながら。

そして翌日、
私は休むことが難しかった仕事を無事終えて、子供を迎えに行き
一緒にトマトと市松(も入院してたのだ。先生が隣同士にしてくれてた・・・染みます。)の
面会に行き、夫も仕事からそのまま面会に来て、
生きているトマトに会ったのはその時が最後になった。
少し頭は動かすものの、もう意識は戻って来なかった。

そして、帰宅して子供を寝かせて
その時は来ました。

覚悟は出来ていたはずなのに、
トマトがいなくなると言うことがどういうことなのか
我が家にトマトがいないなんて、あり得ない事が今おこっている。

あの時はそれがよくわからず、
そして今もよくわかっていない私。
考えてしまうと息が出来なくなるほど泣いてしまう。
どうしたら良いのだろう?と立ち止まったら負けのような・・・。
膝をついたらもう立ち上がれないだろう。

私の大切な大切な可愛いトマト、
いつか再び会ったときには抱きしめて離さないつもりです。
 あのフワッフワなトマトの毛を又撫で繰り回すつもりです。

(↑去年の8月のトマト、お留守番の巻)

「トマト、この世はどうだったかな?
幸せだったかな?

私はトマトと暮らせて本当に幸せ!!

ありがとう・・・・」

左がトマトで右が新顔だった花火、8年弱前

とにかく1度は入るトマト。10年前