2018年10月11日木曜日

身代わり猫だったのかな、タマリは。

黒猫・タマリちゃん享年14才 H30.8.5逝
逢いたい、寂しいよ。
暑い暑い今年の夏、私が召されるのではないか?というくらいしんどかったのですが、我が家の宝物、タマリさんが逝ってしまいました。
我が家の空気が一変しました。存在感の大きな子でした。自分の家じゃないみたいです。

トマト、タマリ、市松、花火の4匹生活が長かった我が家、うち3匹がいなくなり、
「タマリちゃん、頼むよ、長生きしてね」と言い続けた私達です。
悔やんではいません、出来る事は全てした、と胸を張って言えるから、ただただ「ありがとう」しかないのです。

猫の寿命はだいたい13才なのではないか?と猫の先生は言いました。
そう考えると天寿を全うしたとも言えます。
長生きする猫ちゃんも当然いて、そういう猫ちゃん達の飼い主さんが
「うちの子は20才で♪」と言うから、猫の寿命は20才、とか思っていましたが
実際、こうして猫まみれで暮らしていると
花火も8才、市松も9才で亡くしています。私の名前の由来のウズラちゃんに至ってはFIPで2才で亡くしています。
やはり先生が言うのが正しいのかな、と思っています。

タマリが具合を悪くしたのは、4年ほど前。
肝臓の数値が悪く、ずっとずっと猫の先生のご加護の元に、それでも元気に暮らしていました。
1ヶ月に1回の受診が、この4月に10日に1回になり、
7月に入ってからは、容体は急変、毎日猫の先生の所に通いました。必死でした。
治らない、老衰なんだ、とはわかっていました。でも・・・
少しでも少しでも長く私の側にいて欲しかった。

「先生、こうして先生に注射してもらうとタマリは身体が楽になるんですか?」
「うん、そういう事」

そっか、じゃあ通おう。
正直、フルタイムで働く身で、大病した後で、酷暑の中、
仕事終わりで子どもを迎えに行って、子どもごとタマリを毎日猫の先生の所に連れていくのは、しんどくないわけはなく、
でも、出来る事をしていないと、後ですごく後悔することもわかっていました。
ガリガリに痩せてしまっても、タマリは凛としていました。
可愛い、大切なタマリのままでした。

タマリ
顔の半分が瞳のような・・・目が印象的な子でした。

思えば、タマリは不思議な子でした。
最初に出会ったとき、くちゃくちゃの仔猫で・・・ゴミ箱から彼女をすくい上げた女の子が、とても不思議な事を言っていました。
今ならその意味がわかるのですが。

「この仔猫の中にはお不動さんがいる(不動明王のことだと思われます)、神様がいるからお姉ちゃんの足を治すよ。」と。

当時、私は右足股関節に、タチの悪いものがあり、仕事も辞して、これから手術をする事になっていました。痛みが強く、杖をついて歩いていたのです。この先の人生に絶望とまではいかないにしても、たいした期待もせず、暗く繭の中にいるように過ごしていました。

私達夫婦は、最愛のうずらちゃんを亡くしたばかり、1匹になったトマトを抱きしめて泣き暮らしており、そろそろ他の猫ちゃんを迎え入れたい、とキャリアのポンテの言う猫の里親になることが決まってました。(ポンテはうちの子になりましたが、トマトとどうしても仲良く出来ず、夫の実家で手厚く天寿を全うしています。)
しかも、私の手術が決まれば半年は動けないだろう、と医師から言われていました。

しかし、夫はタマリにどんどん惹かれ、「うちの子にしたい」と連れて帰ってきました。
私もそうなるだろうと思っていたので、素直に受け入れられました。
こうして家族になってみると、タマリは本当に可愛くて不思議な子でした。
その目の中に吸い込まれそうなくらいタマリは人をジッと見つめる子でした。

そして不思議な事が起こります。
私のタチの悪いものは、どんどん骨化し良性のモノに・・・手術は必要なくなり、痛みは暫く続いたものの、杖なしで歩けるようになり、
なんと、人間の子どもを授かり、私は人の親になる事が出来ました。夢のようでした。
(けっこうな高齢出産で、周りはびびりました。笑)

書き出したらきりがないですが、
大きくは、私達夫婦がレイトショーを観に行って、帰宅すると
タマリが歯を剥いて、ニャーニャー鳴いて、家電の方に走り、家電の上に乗った瞬間に
電話が鳴りました。
私の母が倒れて救急搬送された、連絡で、夜中の1時の出来事でした。

「ああ、タマリ、ありがとう!病院に行ってくるね!」と夜中にバルケッタをぶっ飛ばす私、
母は一命を取り留めました。
普段はいかつい父が小さくなって、病院にポツンと座っており、
私を見つけ、小さな子供のように安心した顔をしたのを、今も鮮明に覚えています。

父の交通事故を教えてくれた事もありました。
歯を剥いて「今、帰っちゃ駄目!」と鳴くタマリをナデナデして、「じゃあね」と帰った父は見事に交通事故に遭いました。
その後、うちの父も母もタマリに一言訊いてから、物事を決めるようになりました。

猫の先生に言わせると「た・ま・た・ま!」だそうですが(笑)

抱っこが嫌いなタマリ。唯一母にしか抱っこされなかったタマリ。
花火と市松が逝ってから、どの猫ともむれず、1匹で居間に暮らしたタマリ。
最期はちゃんと看取らせてくれてありがとう。眠るように深く息を吸って、旅立ったね。

父が作ったキャットタワー、本当は花火ちゃんの定位置。
花火がいなくなってからは、タマリが離れず。
そして、霊感の強いタマリから、どんどん霊感が強くなる私でありました。これは信じる人にしかわからないので、
頭がおかしい人、と思われても仕方ないかな?とは思いつつ(苦笑)。

そしてそして考えずにはいられないのは、私のこの大病です。
奇跡が奇跡を呼んで、少しの時間のズレで落としていたかも知れない命が隙間なく繋がって私は、死なずに済んでます。
ありがたいのと同時に不思議で仕方ありません。
懸念されていた転移も、かなりの覚悟をもっていたのにも関わらず
私は、転移なく(強い治療の後遺症はまだまだ色濃く残ってますが)過ごしています。
元気です。

何事もなかったかのように、髪の毛も生えそろい、働いて、家事育児をし、やはり猫ちゃんを保護したりなんかし続けています。

「タマリが身代わりになったんじゃないのだろうか?」とついつい考えてしまいます。
もし、そうだとしたら、と複雑な思いがあります。

タマリが逝ってしまってすぐに、私は無事にひとつ歳をとりました(苦笑)。
私は必ず、長生きをしよう、と思っています。
おばあちゃんになっても猫ちゃんごとにかまけ続けようと誓っています。

タマリ、ありがとう!
見ててね。タマリの声が今もきこえます。側にいることを感じながら暮らす私です。

生まれ代わるなら、又必ずうちにおいでね。
なんか泣けちゃうな、困ったもんです、人間は弱くて。




さてさて、↓ 絶賛里親さま募集中の子達です。
宜しくお願い致します!
すずめちゃん♀生後約5ヶ月
ペットのおうち

譲渡会にも出てます!かわゆいですよ。

こざるちゃん♀生後約5ヶ月
ペットのおうち
譲渡会に参加中の写真です。続きましては

ごいし君 ♂ 生後約5ヶ月
ペットのおうち
先日譲渡会デビューしました^^今は私の足下を走り回っております。

胡まちゃん ♀ 生後約5ヶ月
ペットのおうち
耳と脇腹に♥(っぽいもの)あり、かわゆいです。

譲渡会については、詳細は みなと猫の会 です。我が家でのお見合いも大歓迎です。



続きます!(どの口が言うのでしょう?苦笑)






2018年6月16日土曜日

閑話休題みたいな感じ(^^ゞ サツキちゃん③



怒ってるわけではないのです。
にゃんモックでヘソ天のサツキちゃん(^.^)
お陰様で、クリスマスイブイブにお届けとなりまして(^^ゞ
幸せに暮らしていますよ!


一応続いております。もうね、いつの話?という感じでしょうが、
こんなに間が空くと「とうとう死んだか?(私のこと)」とご心配やら
催促のメールやら頂き、誠にすいません。生きてますとも!

この間、私は心がボキッと折れておりまして、ぽちぽちと猫ちゃん達の保護のこと、自分の思っていることを書くのが怖くなっていました。
私が書くことで誰かが嫌な思いをするのだな、と。

前回の巻で、私のノラネコさんに対する態度に「否!」と唱える方や
「捕獲器、かわいそう」と言う方がいらっしゃり、けっこうな攻撃的なお言葉を頂きました。中には信頼している知人からの声もありましたので、堪えました。

個人的なブログですので、そんななら読まなきゃ良いのに、とけっこう凹みまして(苦笑)。
私が間違っているのかな?おかしいのかな?と随分悩んだりなんかして(苦笑)。
それくらいきついし、トンチンカンでもありました。溜め息が出ちゃう・・。
でも、やっぱり私は私で良いのかな?と心にバンドエイドを貼りつつ
「続きを書こう」と思った次第です。時間が掛かってしまいました(>_<)

これだけは言える事があります。
私が、
「責任が取れないノラ猫さんに餌をやらない」のが原因で、その猫が死んでしまった、というのはほぼないと思います。

でも、お腹空いてるよね、可哀想に、と餌だけあげて
「飼い主じゃない」から、と最後まで責任を取ってもらえなかったノラ猫ちゃんが
最後にどうなっているか、ご存じですか?
ノラの仔猫から中猫になる段階で9割は車に轢かれ、亡くなり、
生きながらえても、もっと強い猫が餌場に流れて来て餌にありつけなくて、人知れず亡くなっている、劣悪な環境・外の気候の不安定さで病気になり亡くなる猫がたくさんいると言う事は現実的にあります。

環境事業所に問い合わせたところ、名古屋市港区だけで、1日多くて20匹の猫の亡骸をゴミと一緒に処理している、との事でした。
「飼い主(責任を持つ人間)がいない猫」「車に轢かれてゴミと一緒に処理される猫」
の存在が1番辛い私です。
なんとか「ノラ猫」を減らしたい思いだけです。

が、しかし!
きれい事ばかり言ってもおれず、
私を含めた猫ボラさんにも、生活があり、自分の家に自分の家族として暮らしてい大切な猫がいます。
そこを潰す事は絶対出来ない。どの人にも裁量だったり、容量というものがあります。
泣く泣く目をつむらなきゃいけない時も当然あります。
自分がつぶれたら終わりです。自分の命より大切なこのなんてありませんし。

「多頭飼い崩壊」は、決して対岸の火事ではなく、私みたいな「そんなに頑張ってない猫ボラ」的な人間でもあり得るかも知れない、と
大病をし、「私が死んだらどうなる?」と考えたときにゾッとしました。
最後まで看取れないのなら、保護したりするんじゃなかった、とも思いました。
「自分の死」を意識したとき、
「自分の出来る事」についてもきちんと向き合い、断腸の思いで諦める、という事もしてきました。
私は死んだら地獄に墜ちるかも知れません。こわっ(×_×)
こればっかりは死んでみないとわかりませんね。


さてさて去年の真夏のお話です。

サツキ母さんと5ニャンコ、無事に保護しまして
可愛くなってきた頃に、里親募集をしましたよ〜
器量よしというのは、本当に得だな、と思った次第です^^

つむり君→カイ君となり、蟹江に縁づきました。
美しいお母さんとドラマに出てくるような素敵なポーチのあるおうち^^
先住猫のウルちゃんとパステル調な絵になる2匹なのでした^^
この子は最後の最後まで捕獲器に入らなかったビビリ君、でも1番最初に幸せの終の棲家に旅立ちました^^
まあとにかく可愛い子でした!

あめくん→笙くん 新城市に縁づきました^^
梁のあるログハウスのような猫が喜びそうなおうちの子に
なりましたたよん♪
笙くんはこう見えて固太りなんです。

笙くんのお届けの際、私はまだ髪の毛がほとんどありませんで、普段はウィッグをかぶり
仕事に行っていました。が、この時は「一生に1度、やってみたい」とウィッグの下は金髪でした(笑)
お届けのあとに笙くんち近くで川遊び!
周りを見渡すと、金髪の私か、入れ墨の入った若いパパ・ママ達、
あ〜川遊びって、訳ありの人が来る場所なのね〜と笑えました。入れ墨のパパママにも退かれる私。「あのお母さん、ぶっとんでるよね」と聞こえてきて夫がゲラゲラ笑ってました。私のあの姿が化学療法のなれの果てだなんて、誰も思いませんよね。うふふ
「ほっといて」とかなんとか思ったりしました。




そして、思い出深いお届けになったのは、

つゆちゃん→つゆちゃん
くも君と共に米原の陶芸家さんのお宅の子になりましたよ〜
これまた雑誌の中の家のようでした。

くもくん→くもくん
2匹はこのおうちの雰囲気にピッタリ!娘ちゃんもかわゆく、
なんと言ってもお母様が!バイクは乗る、ドラムは叩く、
私好みのクラシックカーに乗りこなす、こゆいカッコイイ人でした。
もう、すぐ意気投合!
又、会いたいな〜

しんがりは
ほしくん→アルくん 熱田区のめっちゃ豪華マンションに
お母さんと優雅に暮らしていますよん!
最近、妹が出来たそうです!
小さな命をそうやって救って、一緒に家族として暮らして下さって
本当にありがとうございます!この方にも会いたい私です。

そんなこんなで嵐のようなこの5匹、もらわれていった先は、もういい人ばっかり!
ありがたいです。

よくもまあ、頑張りました、さつきちゃん!(と私、笑)
次はあなたが幸せになる番だよ〜

もともと鼻ぺちゃで仔猫顔のさつき
お母さんだったことを忘れ、しばし仔猫の様に過ごす日々。
かわいい!

このあと、きっちり幸せを掴みますよ!
ありがとうございます〜
続きます(笑)









2017年12月10日日曜日

自ら選んだ我が道でした・・の(^^ゞサツキちゃん②

サツキちゃん、譲渡会参加中(^^)v
みなと猫の会
ペットのおうち
いつでも里親募集中

続いております(^^ゞ
かわいい仔猫ちゃん、いってて中猫ちゃん(中3くらい?人で言うなら)と思っていた
可愛らしいバジル2世(サツキのこと)。
この公園と学童とコミセンが同じ敷地に内に並ぶ、静かな場所に!
この広いこの場所にどこかに!生まれたての仔猫がおる!
なんてこと!
脳内映像では竜巻に巻かれ、空中を吹っ飛ばされていく感覚に襲われました・・
いや冗談抜きで。

ノラちゃんのお母さんは、大切な仔猫ちゃんを人の目にさらされないよう
本当に上手に隠します。
仔猫ごと保護したい私は、まずは仔猫を見つけなければいけません。
あまりにも捜しすぎて、母猫を追い詰めてしまうと母猫は、仔猫を連れて移動してしまいます。
過去にも何度も何度もこんなピンチ?に見舞われた私ですが
過去は勝算がありました。それは我が家の縁側にやってきた母猫をかどかわし、
仔猫がしっかりしてきた頃に自ら連れてきてくれたからです。
今回は・・・家から徒歩10分、近いっちゃ近い、が、しかし・・・
側で動向を見守れないのはかなり厳しいな、というのが正直な思いでした。
そして、自分の身体的にも、この場所に蚊に刺されながら猫を捜して張り付くことは怪しすぎました、ではなく、しんど過ぎました。

考えた結果、
「細っこいこの猫ちゃんが、何はなくても仔猫を産み落とし、今育てている。
私は餌付けしていなかった、誰かがご飯をあげている胡なのだ。
仔猫達がチラチラとそのうち出てくるはずだから、そこまではソッと1日1回は見に来よう、栄養価の高いご飯も置こう。」と決めました。
私が猫ちゃんにご飯を置く、と言うことは「必ず保護します!かかってらっしゃい」という意味合いになります。この胡とこの胡の仔猫達の猫生を私が責任持ちます、と言う意思表明です。
始まってしまったからには、投げ出しません。
ただ、タイミング的に私の身体はもつだろうか?暑くなっていくだろう。死なないようにしないと皆が迷惑するな、とは思っていました。
「緊褌一番」です。←私の好きな四文字熟語、ウフフ(^.^)

私は、夕方に子供を迎えに行くときにチラチラと猫の様子をうかがい、
子供が寝静まったあとに、猫ちゃんがいそうな場所にご飯を置き、朝出勤していく夫が皿を確認する、という日々が始まりました。
そうこう言っているうちに、私も放射線治療が終わり、子供の誕生日に合わせて時短ではありましたが、仕事復帰します。頭の毛はなくなっておりましたので、ウィッグをかぶっての仕事復帰、6月の下旬の事になります、しんどかったです。

そして、7月・・・
学童裏で見つけたオチビさん達、鳥肌が立ちました。
か、か、かわいい!
お出ましになりました!イエイ(^^)v仔猫ちゃんはなんと5匹もおりまして、
よくもまあ、あんな小さな体で5匹も育て上げたもんだ、と泣けてきました。
すごいな、頑張ったな〜
と感慨深い私。

このそばで、サツキちゃんが歯を剥いて鳴いてます。
「出てきちゃ駄目よ!」と。(苦笑)
この夏は、天候が穏やかでなく、大雨か台風か、の日々でした。
見つけたからには、早く!早く!保護しなくては。

私は、みなと猫の会のちび太郎さんに「本当に身体は大丈夫なの?」と心配されつつ捕獲器をお借りし、職場の同僚の美しきHさんにヘルプをお願いし、
仔猫達とサツキちゃんの捕獲に乗り出しました。
初日で、「いたいた、可愛い!」と5匹中に4匹を捕獲!
ただ、最後の1匹ちゃんがどうしても臆病で、匂いの強いご飯にも釣られず捕獲は出来ませんでした。
必然的に、お母さんであるさつきの捕獲もあとになります。
キ〜っとなりましたが、暑さと蚊に刺されるのと、私は9歳児を待たしているので時間の制限もあり、4匹のみで諦めました。

小さな仔猫、この子は私の手づかみで捕まった
ほし君。小さいです。
仔猫ちゃん一陣の4匹は、歯が生えていまして、離乳もいけるな、といった感じでした。
体重は450gから500g、小さめです。


まだレボリューションも出来ません。隔離の上、ad缶を
湯煎し、ねじ込み大作戦!
お母さんから離れても4匹一緒なので、わりと大丈夫な感じの4匹、なんとか食べてくれます。トイレもいけそう。

食べないとねじ込まれます(^^ゞ
この子は、雨くん
そして、翌夕は天候不良で断念し、翌々夕にも私はHさんと一緒に最後の1匹ちゃんと
お母さん猫である、さつきちゃんを保護しに行きます。
そこには、なんと私と同じ年頃の女性が、さつきと仔猫にご飯をあげており、(しかも懐かれている!)私達をにらみつけておりました。
「仔猫4匹を持って行ったのはあなたたちですよね?」と。
目は涙でうるうるしていました。
ずっとこの親子にご飯をあげ続け、見守ってきたのだと言います。

私は、なんとなく不思議だったサツキの生態に、全てが一本の糸で繋がる気がしました。この天候の悪い大雨、台風、こんな小さな体のこの子が5匹をも仔猫を育て上げられた理由は、この人がご飯をあげていたからだ、と。
でもお礼なんて言いません。

「返せと言われるのであれば、返しますよ。その代わり、こんな小さな子達はおうちの中でごはんをあげてくれませんか?
このまま外に置いとくんですか?
車に撥ねられたり、いなくなっても平気なのですか?調子が悪かったり死にかけてしまったら獣医さんに診せて下さるのですか?

でしたら、私が持ち帰っても、そんなに怒る事ですか?」と私は続けました。

女性は、獣医に連れて行ったら責任が生じる、と
家にはもう猫を飼っており神経質な子だから、他の猫を飼ってあげることは出来ない、と言われました。

ご飯をあげた瞬間からあなたの猫ですよ、責任もって下さい、とお伝えし、私達は話し合い、今回のこの子達までは私が保護させて頂く事になりました。
その他にこの女性が餌をあげている猫ちゃん達に関しては、「なごやかキャットサポーター」になって頂き、この方に一生涯お世話をお願いしました。
そして、この女性がササッと最後の1匹ちゃんとお母さん猫を保護し、(そこまでの私達の苦労はなんだったのか?っていうくらい簡単に抱っこしてました・・・(--#))
私は、家に持ち帰ります。

※その女性は、この後に私同伴で保健所に行って下さり、なごやかキャットサポーターになってくれました、そしてご自身がご飯をあげてたノラちゃん達の避妊・去勢手術をしてくれまして、今もお世話をして下さってます。
もう、あの学童裏から、こんな仔猫達がウロウロする事はなくなりました。

人と人は、同じ猫ちゃんを通して、話し合ったりわかり合ったり出来ます。
そして協力し合って一歩前進が出来ます。
早く、猫の遺棄や虐待がなくなりますように。←法律が変わって極刑が下るようになりますように、願ってやみません。

またまた続いちゃいます。









2017年12月5日火曜日

私は、試されているのか?な? サツキちゃん①

サツキちゃん♀1歳弱くらい絶賛里親さま募集中
ペットのおうち
いつでも里親募集中
例によって、またまた時間が空いてしまいましたが、
この間、私が何も猫ちゃん活動をしていなかったか、と言うと、そうでもなく
懲りもせず、猫活おばさんをしておりました。
本当に懲りない・・・(苦笑)

彼女と出会ったのは、6月の上旬でした。
ヨタヨタと子供を迎えに行った学童保育の入り口近く・・
その時期、私は働いていないくせに学童に小3坊主を預かってもらっていました。

梅雨入りがどうのこうの、ではなく、
その頃の私の身体は、
科学治療はおわったものの身体はパンパンに浮腫、重く、吐き気あり、
そして、放射線治療の真っ最中でした。
子供を迎えに行くのも奇跡的な状況で、

今でも思いだしては「よく身体が動いたよな〜」と感心するのは
クワイちゃん脱走事件の真っ最中でもありました。
前回、前々回参照です(^^ゞ
猫ちゃんの脱走の苦しみは、本当に計り知れない、脱走している本猫はもちろん辛い思いをしているでしょうが、人間もとてつもなく苦しいです。

(心ないことや言いたいこと言う人はこの際どっかに去ってて下さいませね。
邪魔なので。
死の恐怖から這い上がった私は、けっこう毒吐きます、すいません〜)

胡つぶの時とは違い、誰も悪くないんです。
でも胡つぶの時と同じように、探す人間は身が裂けるほど辛く、果てしない終わりの見えない苦しみです。
猫飼いにとって猫の脱走は、最強の地獄の苦しみなのです。
ヒカリちゃんママが必死に頑張っているのに、私が呑気にしていることは出来ませんでした。というより自然に名東区に通ったのです。体力が許す限り。

そんな中、出会った細い細い彼女、「メスだな」と顔つきでわかりました。

初めて会ったときのさつきちゃんガリガリでした。
可愛らしい顔^^
どうしよう。まだ仔猫だな、生後5〜6ヶ月かな、痩せているな・・・保護したいな。
私は葛藤します。
何でもない私(病気ではなくって、クワイちゃんが脱走していない状態の私の事)なら
サクッと保護して、獣医さんに連れて行き、避妊手術をして、家猫修行をして、
といつもの流れとなるはずなのですが、
その時の私の身体はヘドロのように重く、とてつもなくしんどく
この子を保護したら、クワイちゃんを探しにいく体力は残されない、
どうしよう。
どうしよう。
ああ神様ひどい、どうして私の目の前にこうしてひもじい思いをしていそうな猫を登場させてるのですか?
と天をにらみつけ、大きく溜め息をつきました。

私は試されているのか?

本当なら自分の身体を1番大切にしなくちゃいけない時に
今だから、「無茶やっとったな~」と思うものの、
その時はどんだけ無茶しているのかわかりませんでした。

猫ちゃんは、お腹が空いているらしく歯を剥いて「ニャーニャー!」鳴きます。
人に慣れているのか?でもこちらが寄っていくと一定の距離を保っています。
ごはんを置いたら負けです。
本当に最後までこの子に責任を持つ、と決めるまでご飯はあげちゃいけません。
もっと可哀想なことになるからです。

私は迷ったあげく、その子を深追いせず
クワイちゃんを探すことを優先します。
当然と言えば当然ですが、見捨ててしまったこの子のことを考えない日はなかったです。

「早くクワイちゃんを見つけなければ!」
「クワイちゃんが見つかった後に、ゆっくりこの子を保護すればいい。」
と言い聞かせます。
当時、この子のことは「バジル2世」と呼んでいました。
ヒカリちゃんちの先代の故バジルちゃんに色柄が似てたから(^.^)
なんとも歳がばれる命名・・・(苦笑)

そして、頑張り抜いたヒカリちゃんママから6月の15日に
「クワイちゃん、保護出来ました!」の朗報が入ります^^
彼女と出会って1週間経った時のことでした。

やった!私はすぐにクワイちゃんに逢いに行きました。抱きしめることは
クワイちゃん的にNGだったようで、叶いませんでしたが・・・

だってこんな感じだもの。
おかえり、クワイちゃん→ライムちゃん

そして、私はバジル2世ちゃんの保護に乗り出すのです。
もちろん、夫は「自分の身体のこと考えなよ」と大反対でした。
私は、ポロポロ泣きながら、「だって、じゃあどうして私は命が助かって、生きてるの?何のために?」と懇願しましたが
「子供の為だわい!」と真っ当な答えが返ってきました。はっはっは

結果、夫に折れてもらい(毎度毎度)
やはり、この子を保護することに。
そして、バジル2世の近くにサササッと近寄れた時に、私はガックリ膝をついて
脳内映像では、アゴが外れ地面についています。

なんとこの子は
おっぱいがパンパンに張っていまして、明らかに仔猫を育てているおっぱいでした。

ごはんを持ってきて!と鳴いてます。
小さな小さな体で・・・。

仔猫だと思っていたこの猫ちゃんは、なんとこんな小さな体でお母さんだったのです。
マジで???
この子だけ保護したら、仔猫が死んでしまう。
仔猫は影も形のありません。
ああ、どうしよう。

私はやはり試されているのか??

続きます。




2017年6月28日水曜日

クワイちゃん、戻りました!ありがとうございます!!!

ヒカリちゃんママが、クワイちゃんが戻ってすぐに
貼り紙を制作^^マンションの掲示板&その他に。
良かった、良かった!

クワイちゃんが無事に戻りました!ありがとうございました^^
6月15日の早朝に、ヒカリちゃんママが仕掛けた捕獲器に入っていらっしゃいました!
ありがとうございました!
一報を頂いたときは、腰が砕けてしまい、号泣でした・・・。

目撃情報を下さった皆様、心配して下さった全ての皆様に感謝致します。
こうしてこのブログでのご報告が遅れてしまい、申し訳ありませんでした(^◇^;)

自分のFacebookに一報を投稿し、くるねこ大和さんのブログに掲載して頂いた投稿のコメント欄にご報告したのみで、ぶっ飛んでいました・・・
すいません!!

5月の31日に網戸バーンで落下してから実に2週間強・・・
とても臆病なので、近くに潜んでおるのだろう、と当たりをつけて、置き餌と捕獲器をしかけるも、姿も見えず、大変心配しました。
長年、猫を飼っていても、こんな事はそうそう経験する事はなく(もう嫌です)
何をどうしたら良いのか、手探りの状態でした。

これがスリスリに慣れている猫ちゃんなら、もっと早くに見つかっていたと思います。
捕獲器もいらなかった、と思います。
慣れていない仔の脱走は本当に大変です。誰も悪くないのに、クワイだってワザと逃げたわけではないのに、あのどうしようもない苦しみは、一体全体なんなんでしょうか?

ヒカリちゃんママは、憔悴しておられましたが、ものすごく踏ん張って
早朝から深夜まで、頑張り倒して下さったので、「クワイちゃん帰宅」に漕ぎつけられたのだと思います。

捕獲されホヤホヤなクワイちゃん
私はと言うと、港区⇔名東区という距離と、自分の体の事情で、
気持ちだけは飛んで行っていたのですが、4〜5回行ったのみで大変申し訳なかったです(>_<)

私が駆けつけた時は、こんな感じ。
見た目は穏やかな顔つきになってました。

目撃情報も少なく、とにかく本猫の姿が確認できず、で
途中、正直いって途方に暮れるような気持ちにもなりましたが、

本当に良かった・・・(T_T)

今回はとても幸運だったのだと思う、とヒカリちゃんママは言っておられました。
私もそう思います。
人間がしっかりしなければいけません。

この時のヒカリちゃん。あんなに長く一緒に暮らしていたにも関わらず
私には「誰?このおばさん!」的なビクつきよう・・・
今が幸せという意味なので、いいんです、と
ソッとハンカチの淵を噛みしめる私です・・。

そして、クワイちゃんは正式にヒカリちゃんちの仔となりました(#^.^#)
ヒカリ&クワイちゃんママは、DIYに燃え、クワイちゃんの体重くらいではびくともしない窓の格子を作ってくれました。安心ですね。
うちも早くやらなきゃ!です。

ヒカリちゃんの後ろ姿、可愛い^^
猫ちゃんは外の景色を見るのが大好きですからね、これで安心ですね。


今回の事で、1番辛かったのは、クワイちゃんだったのは間違いなく、会いに行ったときに触ってみると、あんなにふくよか(控えめな表現)だったクワイちゃんはコリコリに痩せていました。
ご飯は食べれていなかったようです。

こちらも置き餌をしてみても、どの子が食べているのか実際は目で見ることは叶いませんでした。
そのうち、外慣れしているノラさん?がガッツリご飯を食べており、余裕綽々で捕獲器に入ってらっしゃる事も。
クワイちゃんはありつけていなかったようです。
クワイのように、蓄えがある子だったから生きていられたでしょうが、ヒカリちゃんのような普通体型の子では生きながらえられなかったかも知れません。
雨の日も風の強い寒い夜もありました。

よくぞ帰って来てくれました。
ありがとう!クワイちゃん。

皆様、ありがとうございました。
「なによジロジロ見ないでよ。私だってお外は懲り懲りなんだから」
と勝手にアテレコ

もし、あの時に
ヒカリちゃんママの様に、すぐに私に知らせてくれて、探すことに協力してもらえていたら・・・
胡つぶもすぐに見つかっていただろう、と
思わずにはいられませんでした。

色んな意味で、これ以上は涙が出ないくらい泣いて泣いて、泣きました。






2017年6月4日日曜日

SOSです!クワイちゃんが迷子です

ムスッとクワイちゃん。写真は我が家にいる時。
友人(ヒカリちゃんの母さん)に預かってもらっているクワイちゃんが、迷子になってしまいました。
そんなに遠くにはいっていないと思われますが、未だに姿も確認できてません。
ご協力を頂きたく思います。
本当にすいません!

クワイ:メス・避妊手術済み・約2歳半・
カフェオーレ色と白のツートン、目が青く、ずんぐりフワフワで歩いているとかなり目立つ猫です。しっぽはまっすぐ焦げ茶色です。
人馴れが足りず、かなりのビビリです。
いなくなった場所・愛知県名古屋市名東区香南2丁目付近
いなくなった日: 5月31日の早朝から
マンション2Fの窓から景色を楽しんでいたところ、網戸が彼女の体重に耐えかね破れ、下界に落下した模様です。
土地勘もなく、性格上、すぐ近くに恐怖で隠れていると思われます。
必死で探していますが、未だに姿も確認できません。
見かけた方は、声も掛けず、追いかけず、ソッとしておいて頂き。
ご一報下さい。かなり怯えていると思います。
何卒よろしくお願いします!
連絡先:服部 uzu.co☆(☆→@mac.com
       090☆(☆→-4253-5421)
電話に出られないときがありますので、メッセージを入れて下さい。

クワイちゃんは、人慣れが進んだら、そのままヒカリちゃんと一緒に幸せな終の棲家で暮らす事に
なっています。
もう、幸せになるだけ!の安心のおうちでの不慮の事態です。
ヒカリ母さんは責任を感じ、憔悴してます。
どうか!皆さんのお力をお貸し下さい。

クワイちゃんの動画一見、静止画ですが・・・

その2

2017年5月27日土曜日

猫の時間の流れに身をゆだねてみる・・・

寒い寒い外を眺める牡丹くんの後ろ頭。 
お外がとっても気になる、お餅的な頭に、
ミカンを乗せたくなる衝動に駆られる(笑)

昨年の11月は、人生の中でも忘れることのない、どん底に突き落とされるような出来事があり・・・私の心は「よくもまぁ普通にしとるな〜」なんて思う日もあり、脳内映像では「やっとれすか!」と机をぶん投げている感じでした。
こうして時間が経ったので言えるのですけどね。

そして、
前回書かせて頂いた、ひつじ&2B(れいちゃん・ゆう君)お届けを最後に、私は猫活のペースを一気に落とし、日々をなんとか回すのみとなっていきます。

ヒカリちゃんの譲渡会参加も一切なくなり、「いつ里」に掲載させて頂いていたヒカリちゃんの里親さま募集記事も6ヶ月を過ぎ、いったん掲載終了となってしまうという。
本来ならば、すぐに掲載記事を手直しし、再掲載すべきところ、
再掲載することなく(実際はしたくても出来なかったのですが・・・)、
このブログは、ちょいちょい時間が空く事があったので、「まあuzumakiさん、忙しいんだよね〜」くらいな感じで(苦笑)許されて?いたのかも知れませんが・・

外は冬となり、1Fにてスズメを見つめるヒカリの後ろ姿。
何もしてあげられなくて、ごめんね。
でもヒカリの天真爛漫さに救われる日々。

私ごとで恐縮なのですが、
う〜ん、私のブログなので私の事を書いたって良いのですが、概要だけ?(苦笑)チラッと。

ちょうど、ひつじ&2Bを保護してすぐ、いつもと変わらず大車輪の如く日々を回していた私なのですが
職場の健康診断+αの結果で、急転直下、奈落の底へ突き落とされます。
「至急、再検査を!」と紹介状つきの検査結果を受け取り、不安はありながら、でも「まあまあ、きっとどうって事ないわさ」な〜んて気持ちで、病院選びも「ここでいいか」くらいな感じで再検査を進めていく段階で、命に関わる危ない病気が見つかりました。
「奇跡の早期発見」「職場の健診さまさま」なのですが、恐怖は変わりませんでした。

その時、私は「先生、お願いです!命だけは助けて下さい!」と号泣する、なんて事にはならず、ただただ呆然としてしまいました。
自分のことのようには感じられず、俯瞰で見ている自分がいました。

「嘘みたい」「よくわかんない」

慌てたのは夫で、
「ごめんね、私、良くないみたいで今から緊急でいろいろ検査をする事になったから、子供のお迎えと猫ちゃん達の事、お願いね。」と電話すると、彼は私には「わかった!」と言い、
職場には
「すいません!妻が〇〇になりましたんで、帰ります!」と仕事を早退し、病院に飛んできました。彼の方が怖かったのかも知れません。

私は、
「うわ〜困ったな・・。勘弁して欲しいな・・。」

というのが、正直な気持ちでした。
私は、脳天気でもなく頭が弱いわけではなく(たぶん)、ごく普通のおばさんと思われるのですが、自分が命に関わる病気になるなんて事は、想定外でした。
考えた事がなかった。

5年前に母を亡くし「もうどうやって生きていったらいいの?」と目の前が真っ暗になったけれども、なんのかんのとちゃんと生きてきました。
猫のトマトちゃんを亡くし、「我が家じゃないみたい」と肩を落とし、クコを亡くし、「ごめんね」と泣き崩れ、花火を亡くしたときはのたうち回って、「耐えられない、この家に花火がいないなんて、認められない」と歯を食いしばり、
胡つぶが行方不明になったとき、内面が裂かれるような思いをし、初めて人に対して殺意を覚え、
市松が亡くなったときは、「出来る事は全部やった、仕方がない、よく頑張った」と言い聞かせつつも膝をついたその膝下が砂のようにサーッとなくなり深い沼みたいなところへ落ちていくような、そんな気持ちになりました。

それでも、今いる猫ちゃん達の毎日の変わらぬ日常と、
何よりも自分の産んだ人間の(当たり前か)子供の成長は、私を闇の世界からスッと現実の世界に引っ張り戻してくれ、尚且つ喜びや生き甲斐も与えてくれました。

私の立っている今の場所は、私一人の意思で「もう止〜めた」とピョンと飛び降り、止めてしまうことは出来ないのだ、と思っていますし、
そんなつもりは一切ありません。
子供を育て、猫ちゃん達のことをする、仕事をし、家事をし、ちょこちょこ遊び、そんな私の人生は、特に劇的な事も起こらず、かといってそこそこ幸せで、このままずっと続いていく、と思っていました。

そして、私はとても強いのだ、とも思っていました。

母を亡くし、トマトを亡くし、クコ、花火、市松を亡くした段階で、私の人生の中で5本の指に入るような悲しみはそうそうないのではないか?怖いモノなんてそうそうないのじゃないか?と。
あの時期は辛すぎて、そう思おうとしていたふしもありますが、
子供は当然、私より先に死ぬなんて事はない、と信じてますし、

このあと、私のすべき事は、子供を育て猫活をし仕事を続けというベースがあり、
父の介護・看取り、そして子供が巣立ち、夫の介護・看取り(ふふふ)、その後はのんびり猫活友人とお茶をしつつ、残りの人生を楽しむ予定でおりました。はっはっは

100歳とはいかないにしても、
自分が大病する、とか
自分が死ぬかも?とか考えていなかったおめでたい人間でした。
だって、やらなくちゃいけない事が山盛りあるのですもん。今、死んでる暇なんぞないわい、と。

今回(結果から言うと治療はかなり辛かったですが、今は命には別状ないです!大丈夫です^^)
自分の命がこの段階で尽きることがあり得るのだ、と思い知り、恐怖にさらされることになります。
まずは、自分の子供のことを考えました。
離れることも耐えられないですし、ずっとずっと成人するまではそばで彼の成長を見ていくことは当たり前で、私からそれを取り上げられたら、と考えるだけでゾッとします。

そして、猫ちゃん達のこと、今いる猫ちゃん達は当然私が最後の最後までお世話をし、あとに残すなんて事は想像だにしていませんでした。
うちの子、保護猫ちゃん、合わせて10匹以上の我が家の猫ちゃん達の事を、私がせずに誰がするの?と、夫もやってくれるでしょうが、名人(自分で言ってしまう?)である私と同じレベルのことを彼に課すのは酷というモノでしょう。

私に替えはいない。

(仕事も大切ですが、仕事に関しては私の替わりはいると思っています。)

色んな事が頭の中でグルグルし、足が地面をしっかり掴んでいないような感じの時間が過ぎていきます。
人ごとのように実感がないまま、厳しい検査・検査・また検査をし、具体的な入院・手術の日程やら、化学療法・放射線治療の日程やら、どんどん決まっていき、私はベルトコンベアーの上にいるような錯覚に陥ります。

「なんか怖い・・」

その間、何事も起こっていないかのように、日常は回していました。家事も仕事も育児も猫ちゃんごとも。ひつじと2Bのお届けも。

この頃に、猫の先生にお守りとして頂きました^^
「またまた猫医者に訊け」を持参すると裏表紙にこの御朱印が頂けるんです。
作画:くるねこ大和さん
私ももちろん頂いているのですが、これは特別に頂いたモノです。
「頑張れ!闘うばばあ、すげえな、おれには怖くて出来ない」と言われましたぜ。
ふふふ、ばばあっつったな〜σ(`´メ∂
でも、本当は優しい猫の先生なのであります。


私の主治医は言いました。
「私の仕事は、あなたの体を切って悪いものを取り出したり、病気を強い薬で治療をするだけじゃないんだよね。
あなたが元いた場所にあなたを戻すのが仕事だから。
あなたは仕事を辞めたりせず、今楽しんでいること頑張ってやっていることを諦めたり遠ざけたりせず、又出来るように、人との関係を断ち切ったり退いたりせず、堂々と、でも頑張らずいて欲しいんだよね。
頑張るのは、私と看護師が頑張るから。」と。

目からウロコというより、水道管が破裂したかの様な涙が出ます。
やっと、私がここから通るべき厳しい道に対しての実感が湧いて来ました。

「ただごとじゃないんだな。」と。

看護師さんは言いました。
「これは、家族や周りの協力がないと乗り越えられない病気です。一人では無理。私は看護師をさせていただいているけど、この病気にはなった事がないのです。
本当の意味ではHさん(私の事)の恐怖や辛さはわからない。
でも教えて下さい。何が辛くて何が不安で、その時その時、自分がHさんに何が出来るのか、全力で考え、寄り添いますので、少しの事でも私に弱音でも毒でもなんでも吐いて下さい。」と。
(実際にこの看護師さんを含めたこの病院の看護師さんは素晴らしく、
少しの私の不安や変化も見逃さず、いつも寄り添い手を握って下さいます。
自分の頭の中の知識をひけらかすことなく、それでもその知識と長い経験に裏打ちされたプロの技で、ただただ私の痛みと恐怖と辛さに寄り添い、少しでも私が楽になるように考え、声をかけて下さってます、すごいです。)

私はポロポロポロポロ泣きました。
先生を、看護師さんを信じよう、絶対負けない、元いた場所に戻るのだ、と心に決め、今に至っています。
そして、実際に、この治療の数々が想像以上に辛く苦しいものだと知るのも、もう少し後のことになってきます。

12月1日にザラメちゃんの父さんより
「祝3年」のメールを写真を頂きました^^
幸せそうなザラメちゃんの姿は、励みになりました。
又、元いた場所に戻るのだ、と強く思いました。


まず「元いた場所に戻る」為に私は、
病気を隠すことなく、心を開いて、近しい人に「助けて欲しい」と伝えていくことにしました。
まずは子供の事です。私は母親を亡くしており、父親も病身。1番気軽に頼める自分の親はいない、と捉え、いとこや友人に頼り、
子供とは今まで離れることもほぼなかったのに、入院だ手術だ、でかなり不安な思いをさせてしまう、
学校や学童にもサポートして頂けるよう、自分の置かれている状況をお話しして、協力して頂けるよう、何かの時に助けて頂けるよう、お願いしました。

子供にも本当の事を話しました。これから私は入院したり、手術したり、とても辛いお薬を体に入れたり、あなたの事をちゃんとやってあげられない、と思う。
でも、私もあなたの助けがないと戦えない怖い病気なの、と一緒に頑張ってくれる?と。
8才の坊主が「うん!ママなら乗り越えられるよ。僕も頑張る。」とその時は言いました。

私がきちんと心を開けば、周りは全ての人が優しく温かく、助けてくれました。
私自身のこと、子供のこと、猫ちゃん達のこと、直接的に助けてくれる訳じゃなくても顔を見に来てくれたり、離れていても「頑張れ!」とエールを送ってくれたり、
今現在も、出来る事が増えてきたとは言え、やはり人に頼り、友人や隣人に助けてもらう事もまだまだある日々を送っております。

病気を知ったときは、「なんで?なんで私なのだろうか?」と思わないでもなかったですが、
今は、「これは奇跡だ、こんなに支えてもらって、成り立っている。」とありがたく思っています。
体がどん底に辛く、動くのも食べるものままならないような時は、人の温かさ(逆も然り、人の冷たさも・・・)が元気な時とは比べようもないほど敏感に感じられます。
身に染みる、とはこの事だな、と思いました。

今まで当たり前に出来たことが出来なくなり、当然のことが当然ではなくなったり、
自分が思っていたことと違う形で跳ね返ってきたり、色んな事に気づきます。
本当の人の優しさ、深さ、度量の大きさというのは(くどいようですが、悲しいけど、逆も然りです)、
元気な時は、さほど理解できてなかった・・・。きちんと見えていなかったです。
こうなったから、気づけた、こうなったから、感謝が出来た。
色んなモノが見えてきて、自分の浅はかさも見えてきました。何を見ていたんだろうと思うことも多々ありました。

今はまだ体が辛いので、何も言えませんが
いつか乗り越え切った時に、この経験は残りの自分の人生の糧になる、と確信をしています。
どえらい強いおばさん、そして優しいおばさんに私はなってるはずです。(あくまで予定ですが、苦笑)

冬のリアンちゃん(我が家ではオカッパちゃん^^)
久しぶりにナマに会いたいな、
私の事なんて忘れてるんだろうな(苦笑)


そして、「この経験」の中には、
私が猫と同じ時間の流れで過ごす、という見方を変えれば、なんとも幸せな経験も含まれています。
入院するギリギリまで仕事をしていましたが、
退院してからは、何をするわけでもなく、ジッと家にいました。
そのうち化学療法が始まりましたので、副作用に耐えつつ、重く怠くなっていく体を横たえ、お腹に猫を乗せ、股に猫を挟み(結果的に、笑)、同じ枕を猫と分け合い、日中を過ごしていました。

「こんなに猫たちとベッタリ一緒にいられるとは」と
しんどくなっていく体とは裏腹に、忙しすぎた日々を振り返りつつ「これもありかな」と
猫の事を同じ目線でジッと見ていました。
本来なら仕事している時間も、私は、ただただ寝ているしか出来る事がない時期が続き、猫を横目に「よく寝てるんだな、だから寝子(ねこ)とはよく言ったもんだな」とか。
取るに足らないことを思ったり(笑)。

お正月のジル君(アル君)かわゆいな〜
幸せなんだな〜と見入った1枚。
少しお太りになりましたね(笑)
このところ、ジル君かあさんが作るカヌレが食べたい!とこの写真を見ると思います。
食欲が少しずつ復活してきたと言うことと、それくらい美味しいのだ!


色んな発見もありました。
私が勝手に猫ちゃん同士の相性を決めていた事が発覚します。
猫ちゃん同士がわざと仲の良くないふりをしたり、演技をしていた可能性が出てきました(笑)
私が思っていた、この子とこの子は相性が良い、悪い、はけっこう1日通して見ていると
「え??この距離でもケンカしないの?」とか「あれ?もっと仲良しなのかと思ってた。」とか、外れていたまではいかないにしても、意外や意外な猫たちだけの社会がこの家にはありました。

人がいない時間、猫ちゃんだけ時間は、新鮮でした^^

いつもは、仕事でいないはずのかーさんが、ずっとベッドで一緒に転がっている・・
猫ちゃん達はざわつくのかな?と思っていたらば、わりとすんなり受け入れてくれまして、
受け入れたというよりは、
『世話をしてくれる人間』という扱いではなく、
『何も出来ないでくのぼう』的な扱いを受けました(笑)
ソッとされていた感じです。

語らなくても私の匂い、オーラから全てを悟る猫たちは、
いつものように「ごはん!早くごはん!」とか「ぬるめのお湯をもて!」とか
「かゆいの、顎の下をゴシゴシして」とか「撫でれ!」とかの要求をしてこず
ただただ、つかず離れずで一緒の時間を、一緒に寝っころがって過ごしました。
完全な「おみそ」扱いでした。(知ってます?この言葉。笑)

今思い出すと、
動けないはがゆさ、何かを考える事も出来ないくらいの気分の悪さ、とにかく不調、
普通に動ける事の幸せを骨の髄まで思い知った次第です、はい。
猫にまで気を遣わせたのですから(苦笑)。

残りの私の人生は、元気になりさえすれば、猫たちの下僕としてセカセカとお仕えしようと、誓ったんです。
「元気」ということが、それが1番の幸せなのです。

私のベッドの上でいつもいつも小競り合いをしている
カンロとヒカリ
癒やしのひととき。ヒカリちゃん後ろ足、やばいです。

もっとやばい動画です^^


そして、何にも出来ないと見せかけ、私はしっかり猫ちゃんを保護したりなんかしたりして(苦笑)、
これはこれで、病気ですな。
呆れる周りを尻目に
3月の2日は、桃おくんを捕獲、去勢し、ワクチンをうち、虫ノミ駆除OKでございます。

桃お♂約1才ちょっと。短足・ずんぐり・歩く姿は
オオサンショウウオな桃お君は、私のドストライクな可愛さ^^
たまらん、ですわ。
お陰様で早々と里親さまが決まり、7月に緑区に婿入りです!
ありがとうございます。

そして、またまた・・

ものすごくお腹を空かせた女の子が舞い込んできまして、
仔猫を産んでしまわぬよう、もしかしたらもう産んでいて、育てていないか
慎重に彼女の動向を見守りつつ、
「こんだけ長い時間、うちの縁側に寝転がっているって事は、仔猫はいないよね」と
がっつり保護。避妊手術、ワクチン、完了です。
あとは、人慣れするだけ、これが大変(苦笑)

胡梅(こうめ)♀ 生後約8ヶ月
こちらは少し懐くのに時間が掛かりそうですが、
リリースも出来ず(苦笑)。

また、胡梅の可愛らしい写真を撮ることを目標にしつつ、この子達の事も書いていきますね。

さてさて、
今回、辛い中でも発見あり、私以外の家人がとても強く頼もしくなっている事にも気づかされました。猫ちゃん達も然りですが、

8才の息子が、何にもわかっていないのでは?と思っていたのですが、
彼はちゃんとわかっていて、母親が病気で、手術で、という自分の不安を近しいお友達にお話ししていた事が後から発覚します。誰にでも話していた訳でもなく、本当に聴いて欲しいお友達にソッと話した様子で・・・ビックリしました。

へ〜

と成長を感じました。大人の私も不安を友人に聴いてもらうとスッと楽になります。
うちの子もそうやってお友達に話していたんだ、と心がシンとなりました。
どうやって話したのが、後ろからそっと覗いてみたい気持ちにもなりました^^
私が思っているより、ずっと子供も子供の社会で、いっぱしになっていっています。
きっと、彼も今回の事を乗り切ったとき、強く優しい子になっている、と私(バカ親、苦笑)は思っています。

そうやって考えてみると、猫ちゃん達も不安だったでしょうか?
「あいつも不死身ではないらしい、ちょっと優しくしてやるか。」な〜んて猫ちゃん同士で話していたりなんかして。
間違っても「かーさんが体調悪いみたい、どうしよう?大丈夫かな?なにか自分たちに出来る事をしなくちゃ!」な〜んてざわつく事はありませんでした(笑)。
猫って、そんな感じなんです。

でも、いてくれるだけで圧倒的に元気や癒やしをもらえる、という。
そんな愛すべき存在であります!


4月いっぱいで辛すぎた化学療法が終わり、それが抜けるのに苦しみ、
今は、新しい治療とと共に出来る事が少し、また少しと増えてきてます。

あと、もう少しです。